群馬県立館林美術館 かこさとしの世界展 [群馬]
群馬県立館林美術館 野口哲哉展 [群馬]
館林美術館 安野光雅 風景と絵本の世界 [群馬]
伊勢町祇園祭 [群馬]
群馬県立歴史博物館 織田信長と上野国 [群馬]
赤岩渡船で越境 [群馬]
公共交通と言えば、誰しも電車やバスを思い浮かべ、 船を挙げる人は少数ではないでしょうか。
それでも瀬戸内海や北海道、そして離島を中心にフェリーも公共交通として頑張っています。
それらは船の中でも日の当たる部分に相当するもので、もっと地域密着の交通を担っているものもたくさんあります。
その一つが渡船です。
昔は全国各地に多数の渡船があったことでしょう。
しかし、今では殆ど見られなくなってしまいました。
そんな渡船が利根川にも現役であるのです。
その一つがこの赤岩渡船です。
埼玉県熊谷市と群馬県千代田町を結ぶもので、県道扱いで乗車は無料です。
今回は埼玉県側から群馬県側へと抜けました。
熊谷駅前から葛和田行のバスに乗り、終点で降ります。
道は渋滞もなくスムーズに流れ、乗客の乗り降りも結構見られました。
葛和田は土手を越えた利根川河川敷内のバス停で、そこには渡船用の小屋が設置されています。
ここで対岸から渡船を呼ばなければなりません。
バスの運転手に聞くと、小屋脇のポールで旗を掲げろとのことでした。
黄色い大きな旗を縄で上げていくのですが、生憎の強風のためすぐに落っこちてきてしまいます。
何回か繰り返すうちに、対岸から船がやってきました。
「旗を掲げて合図しろ」との話は知っていたのですが、想像よりも大きな旗です。
てっきり手旗みたいなものを降ってアピールするのだと思っていました。
それにしても、よく気付いてくれたものです。
当日は強風のため波が高いだけでなく、船はカイトボード(?)の人らを避けつつこちらに向かってきました。
よくもぶつからないものだと思いましたが、それでも何度も減速や進路変更をして難渋しているようでした。
さて、実際に乗ると、思いの外安定です。
しかも、なかなか快適です。
ほんの数分でしたが、貴重な体験でした。
船員の方の話を聞くと、あまりの強風のため運休にしようと話をしていたところだったようです。
危ないところでした。(運休の場合は小屋に赤い旗が立つそうです。)
また、利根川にはここ以外に伊勢崎市と取手市に渡船があるそうです。
しかし、船に乗って県をまたげるのは赤岩渡船だけです。
そんな貴重な赤岩渡船に末永く残って欲しいところですが、手間や利便性の観点から明るい未来は見えてきません。
千代田町では架橋要望があるらしく、実現すれば赤岩渡船は無くなります。
地域の個性として存続して欲しいところですが、コストや住民の使い勝手を考慮するとそんな希望は難しいのかもしれません。
赤岩渡船があるうちに、多くの人に体験してもらい、渡船の面白さを伝えていってほしいと感じます。
さて、この日は渡船で群馬県に入った後は、千代田町営バスで館林駅へと向かいました。
赤岩渡船
8:30~16:30 無料
最寄りバス停は埼玉県側は国際十王交通の葛和田です(およそ毎時1本)。
群馬県側は千代田町営バスの赤岩渡船です(日に数本)。
七日市藩陣屋跡 [群馬]
富岡製糸場から西へ少し離れた地の、商店がまばらになった所に七日市藩の旧跡である藩邸が残っています。
七日市藩は江戸時代を通して前田家の分家が治めており、建物にも前田家の梅鉢紋が見られます。
この藩邸の特徴は富岡高校の敷地内に立っているところで、高校内にありながらも観光客も自由に訪れることができます。
通常の高校の校舎が立つ敷地の北東の片隅に藩邸とそれを囲む庭が配され、それぞれの様相が異なっているのが面白いところです。
庭は手入れも行き届いており、池には鯉が泳いでいました。
高校敷地内にあることから昭和の半ばには学生の悪さによって破壊されたりしたのでしょうか。
はたまた平成初期には授業をサボった学生が藩邸に侵入して居眠りをしていたなんてことも無かったのでしょうか。
高校にあるというだけで物語が膨らみます。
ただ、綺麗に伝えられている様子を見ると、大切にされていることは窺えます。
訪れた日はたまたまかも知れませんが、学生の声の無い静かな日でした。
もしかすると、高校にある異型の存在の藩邸なのではなく、藩邸という空間にある、異質な存在の高校という方が正しい認識なのかもしれませんね。
こうした歴史的なものが身近にあることは羨ましいですね。
藩邸が登場する青春物語を、大切に持ち続けて成長してほしいものです。
七日市藩陣屋跡
拝観は高校開門時間内。
最寄り駅は上信電鉄の七日市駅です。
富岡製糸場 [群馬]
富岡製糸場が世界遺産になった時はだいぶ賑わいました。
多くの人が感じたように、「あの施設が世界遺産?」と思いましたが、日本人が考えるより世界での評価が高いということでしょう。
指定直後のフィーバーが落ち着き、今は比較的ゆとりを持って見ることができます。
もっとも、これでも以前の状態に比べればだいぶ人が多いのでしょうが。
施設が世界遺産指定を受けたため整備が急ピッチで進められています。
展示施設内も空調が効き、夏でも穏やかに見て回れます。
もちろん昔の機械を展示している施設にはそうした空調は備えられていませんが、解説ビデオは大画面で複数の場所に置かれていました。
そして、何よりも東京都心で導入されるようなハイテクなシステムがたくさんあります。
涼しくするためのミスト発生装置もあちらこちらにありますし、解説ツアーの発券機は無人の自動発行機です。
門前の商店街も華やかに変わりつつあるようで、また数年経てば様相が一変しそうです。
富岡製糸場は想像通りに観光客の年齢層の高い施設ですね。
展示解説も難しいですし、もともと工場ですから。
歴史の移り替わりごとに増改築され今の姿になりました。
上の写真の首長館は富岡製糸場設立に関わったお雇い外国人のポール・ブリュナの住居だった場所で富岡製糸場でも屈指の古い建物です。
庭を挟んで直ぐの所には鏑川が流れ、一番景色のいいところに建てたものと想像されます。
ポール・ブリュナは上州のからっ風をどう感じたのでしょうか。
それ以外にも診療所や男子寮など通常の主要な見学コースから外れたところも面白いもので溢れています。
もちろん、生糸関連の実演もあり生糸を紡ぐ様子や生きた蚕を見ることができました。
個人的には蚕の幼虫よりも成虫を見たいのですけれど。
季節や時期が違うとまた違った様子が見られそうですし、どんどん整備もされているようですので再度訪れても十分楽しめそうです。
ただ、世界遺産指定を受けて海外からの観光客が大量に来ているとは思うのですが、あまりに外国語の案内が無いことが心配です。
解説ガイドが貸し出されるようですが、それでもパネル展示くらいには英語案内を付けたほうが良いとは思うのですが。
富岡製糸場
9:00~16:30 一般1000円 高大生250円
最寄り駅は上信電鉄の上州富岡駅です。
桐生明治館 旧群馬県医学校兼衛生所 [群馬]
今年の大河ドラマは長州が中心の幕末の物語ですが、群馬県もゆかりの地として売り出しています。
なぜならば、主人公の杉文(井上真央)の再婚する相手の楫取元彦(大沢たかお)は明治維新後群馬県令として赴任するからです。
展示施設を開設して宣伝紙などを発行していますが、あたかも楫取元彦が大河ドラマの主人公であるかのようなもので突っ込みを入れたくなるものになっています。
そんな群馬県が誕生して間もなくの時代の建物の一つが桐生市に現存しています。
現在の名称は桐生明治館となっていますが、もともとは群馬県の衛生所兼医学校として前橋市の県庁前に造られたものです。
その後両施設は廃止され、建物は移築して相生村役場として使われてきました。
そして最近、建築当時の姿に復元され、かつ重要文化財指定され今に至ります。
建物は和洋折衷の作りで、一見洋館の様な外観をしていますが、屋根には鬼瓦が設置されています。
また、中は広くはないのですが、壁や天井が紙張りとなっている点が特徴的です。
冒頭の写真は会議室の椅子に腰掛け、窓を覗いた体で撮った写真です。
当時の人たちもこのような風景を見ていたのでしょう。
現在は復元から年月が経ち、再度老朽化を感じさせる部分が出てきていますが、足下の床板の擦れや塗装の色あせが逆に時代を感じさせ興があるように思われます。
さて、明治維新とともに各地に医学校が作られたそうです。
しかしながら、群馬県の医学校は応募人数が少なく数年のうちに閉鎖されてしまいました。
医者の人気はなかったのでしょうか。
当時のシステムについても紹介されていました。
入試は理系的分野の試験が無く、当時から問題視されていたようです。
また、奨学金の制度もあり、今と同様に貸し付けられた学生は卒業後に公的な診療を義務づけられていたようです。
戦後に構築された医学部の制度にもよく似て、問題としていまだ改善されていない学力の点にも通じる話が既に明治維新の段階で生じていたというのですから驚きです。
人は進歩しているようで、同じところで足踏みをしているだけなのかも知れません。
桐生明治館
9:00~17:00 150円 月曜日、祝日の翌日休館
最寄りバス停は桐生市おりひめバスの桐生明治館前です。
(最寄り駅はわたらせ渓谷鉄道などの相老駅や上毛電鉄の天王宿駅です)
足尾鐵道100周年記念資料展 [群馬]
足尾鐵道とは今のわたらせ渓谷鉄道のことです。
これが2014年に全線開業100周年を迎えました。
そこで関連する資料を展示した企画がこのイベントです。
会場では資料展示の他に模型の展示・走行も行われていました。
貴重な絹地の特別乗車券や写真パネルなど足尾鐵道からわたらせ渓谷鉄道に至る様々な歴史資料も公開されていました。
また、足尾鐵道開業時の公文書はなかなか目にすることはないのではないでしょうか。
それを見ると、免許の第1条には政府が必要と認めたときは国有化すると書かれています。
その文章が表す通り、開業から4年目にして国が買い取り国鉄足尾線となるわけですが、買収前提で免許交付が行われていたのか、未来を予測する力があったのか興味深いところです。
また、開業に先立ち岸氏と本間氏の二人の技術者による二つの経路の提案があったことも示されています。
もし違う選択をしていたら、今とは違う経路で桐生へ線路が出来ていたのかも知れません。
小さな会場の小さな展示で内容も不完全な物でしたが、まだ伸び代がある調査領域で今後より一層の進展が見込める所であると感じます。
もっとも、レイアウトはもう少し整理した方が見やすいかも知れませんが。
会場でわたらせ渓谷鉄道の“神戸駅”の名前が昔は“神土駅” であり、そちらの方が良かったとおっしゃている方がおりましたが、表記としては“神戸駅”の方が正しいのですから、この変更は仕方がありませんね。
ちなみにこの駅の読みは「ごうど」駅です。
足尾鐵道100周年記念資料展
~2/8 10:00~17:00 無料
最寄り駅(展示会場)は 両毛線の桐生駅です。