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日本の巨大ロボット群像 横須賀美術館 [神奈川]

日本のアニメ文化を牽引するジャンルの一つにロボットがあります。日本のアニメが誕生して50年以上、ロボットも多種多様なものが登場し、歴史を作り上げてきました。これらは時代背景や日本文化に大きな影響を受けています。そうしたアニメの中のロボットの変遷を作品とともに振り返る企画展が横須賀美術館で開かれています。

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日本のロボットアニメの草創期に登場したのは鉄腕アトムや鉄人28号でした。この展示でも始まりは鉄人28号です。鉄人28号は白黒アニメの時代に始まり、時代を超えて沢山の作品が作られています。一番驚いたのは鉄人28号が初めてテレビに登場したのは白黒の実写ドラマだったことです。しかも、よくある鉄人28号とは全く見た目が異なります。大きさも小さいものです。原作漫画とは全く似ても似つかないものでした。その後、アニメ版の鉄人28号が作られ、イメージ通りの鉄人が登場しました。そ90年代には続編が作られたり、21世紀にはリメイクされたりしています。こうした流れも興味深く、アニメの変遷の代表例に思えます。ヒット作は続編が作られたり、リメイクされての原点回帰はよく行われます。

その後70年代のスーパーロボットの時代になります。マジンガーZやグレンダイザー、ゲッターロボの時代です。分かりやすい色使いが特徴で、変身や合体するものの、厳密な物理的構造は反映されていません。

その後80年代になると、ガンダムやマクロス、ボトムズなどがヒットします。設定の厳密さとロボットの小型化が起こった時代でした。会場には大きさがわかるように実物大のガンダムの大きさが示されています。

そして90年代にはガオガイガーやファイブスターストーリーなどが登場します。この時代には70年代ロボットの揺り戻しが起きたようです。デザイン的に角形ではなく丸型(曲線多様型)の腕などのデザインが復活しました。また、ネタ切れにも直面した時代のようでした。

このように日本のアニメの中で、どのようにロボットが変わってきたのか見ることができます。惜しむらくは、その考察がおそらく20世紀で終わっているところです。個人的な考えでは、この後にエヴァンゲリオンが来ます。いままでロボット=機械といった物が多かったのですが、エヴァンゲリオン辺りから生き物の要素が取り込まれていきます。硬質なデザインだけでなく、生物的な意匠が含まれるようになりました。操縦の仕方もこれまでのレバーだけでなく、生体と連動するものも多くなります。こうした今につながるところは全く展示がありませんでした。もちろん未来の予想もありません。まだまだ今後素晴らしい作品が登場するかも知れませんし、ロボットアニメは現在進行系で発展しているでしょう。未来が楽しみです。

聞くところによると、日本のロボットアニメの異質なところは中に乗り込んで戦うところなのだそうです。アメリカのロボットはスター・ウォーズやトランスフォーマーに代表されるように、ロボットが友人としての形を取ります。日本のロボットは内部に乗り込むことから、自己の拡張を意味するのだとか。違う自分になりたい、強い自分になりたい、といった願望を叶えてくれるのが日本のアニメのロボットなのです。

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会場はとても賑わっていました。会場には宮武一貴さんの描いた大きな作品が2点飾られています。その中には機動戦艦ナデシコの中に登場するゲキガンガーもあります。劇中劇のロボットなのにもかかわらず選ばれたことに驚きます。

幅広い層の観覧者がいましたが、驚いたのは意外に女性が多かったことです。もしかすると、芸術として鑑賞するのに相応なテーマだったのかもしれません。音声ガイドはアニメの企画展らしく銀河万丈さんと水樹奈々さんの声で案内してくれます。掛け合いも楽しいので借りるしかないですね。しかし、会場での記念グッズの類が少ないのは残念でした。

横須賀美術館は併催としてジブリ展も行っています。そのおかげで美術館はとても賑わっていました。ジブリ展は完全予約制の展示で、時間まで外に待機列を作らされますが、ロボット展は随時中に入れます。また、ジブリ展に人が集まっているために、駅から横須賀美術館までのバスは臨時便が設定され、2倍くらいの量になっていました。実際にバス停には多くの人が並びましたが、臨時便が設定されているためまずまずの混み具合で移動することができます。しかし、会期はずらしてくれればいいのにとは思いますが。


横須賀美術館 日本の巨大ロボット群像

~4/7 10:00~18:00 一般1300円 高大生1100円

最寄りバス停は京急バスのラビスタ観音崎テラス・横須賀美術館前です。

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水星の魔女 in GUNDAM FACTORY YOKOHAMA [神奈川]

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ガンダムが動く、そのような触れ込みで新しい実物大ガンダム像が作られたのは数年前でした。しかしながら、一向に終息しない新型コロナウイルス禍のせいで、なかなか見に行けずじまいでした。そうこうしているうちに、動くガンダム終了の噂がチラホラ出てきました。動かしている分、長い期間の運用は難しいのかもしれません。終わる前になんとかして行かねば、ということで強行して見に行ってきました。

お台場に最初にガンダムが立ってから何年経つでしょうか。今回のガンダムは確かに目の前で手や足を動かします。ですが、前評判通り、動きが遅い印象もあります。しかし、明らかに年月を経るに連れて像ができることが多くなっているのは間違いありません。

11/24からは現在放送中の「水星の魔女」をテーマにした演出が始まりました。写真の通り、水星の魔女のポスター通りの格好をしてくれています。初めは格納されているところから始まります。それが前に出てきて、YOASOBIの「祝福」に合わせて手や足を動かしていきます。その様子には先日放送されたカウントダウンTVでYOASOBIがガンダム像の前で歌ったときのような高揚感がありました。ライトアップも冬の演出っぽくキラキラしていました。最後にはシェルユニットを模した赤い光なんかも有り、凝っていました。その後は上記のような格好を20分近く維持してくれるので、その間に写真は取り放題です。

水星の魔女の演出は日に3回あります。今回は日中の回を見ましたが、ガンダムをきれいに写真に納めるには昼間の方がいいでしょう。しかし、ライトアップなどの演出を楽しみたいのなら夜になってから見たほうがきれいですね。もちろん、チケットは入場したあと退場するまで有効なので、ずっと待っていることは可能です。カフェや展示もありますし無理ではないかもしれません。

しかし、この冬は1回見るのでさえ過酷です。横浜の街に吹き付ける海風の寒いこと。演出が始まってもカフェから出ない人も多数いました。温かい飲み物を飲んでもすぐに体が冷えてしまうような状態です。ゆっくり楽しみたいのなら暖かい時期に越したものはないですね。夜の演出を見ようとするなら尚の事防寒対策をしなければなりません。

しかし、どんなに過酷な状況であろううとも、動くガンダムと水星の魔女の演出が見られたことに満足です。そして、動くガンダムの次に待つものはどのような技術なのか、水星の魔女のお話は今後どうなっていくのか、楽しみはつきません。


GUNDAM FACTORY YOKOHAMA

11:00~19:00 入場料1650円(空きのある場合は当日現地で購入できます)

敷地外からも塀越しにガンダムの上半分くらいは見えますが、そこまで行ったのですから中に入ることを推奨します。

水星の魔女の演出は15:20~、17:20~、19:20~の3回です。

最寄りバス停は横浜市営連節バスの山下ふ頭です。

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横浜市歴史博物館 道灌以後の戦国争乱 [神奈川]

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太田道灌は室町時代~戦国時代の関東の著名な武将です。

事績は知らなくとも、名前だけは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

この太田道灌を輩出した太田氏は、岩付城(埼玉県)や江戸城(東京都)との関係がよく知られていますが、何故か今回の企画展が開催されたのは神奈川県の横浜市です。

建前上は家臣だったことのある上原氏の文書を提示することで横浜市との関係を示していますが、展示で上原家文書をあまり目にしなかったような。

そんな強引とも取れる企画展を起こなったことは称賛に値します。

実際、この横浜歴史博物館は以前も吉良氏の展示を行うなど、なかなか面白いところをテーマとするユニークな博物館なのです。


博物館の構成はほとんどが文書の展示です。

中にはパネルでしか示されないものもあり、取り付きにくいのですが、大抵の文書が漢字や仮名に直されて説明されているので、雰囲気は感じ取れます。


太田氏は太田道真・道灌父子の時代に最も活躍しました。

関東管領の上杉氏に楯突いた家臣の長尾景春などは連戦連敗をしてしまうほどでした。

しかし、主君の扇谷上杉定正により道灌が暗殺されると、その後は大きな潮流となることはできませんでした。

では何をしていたか、というのが本企画展の本題です。

大きな系統としては、江戸城の太田氏と岩付城の太田氏があります。

どちらも上杉氏の家臣として当初は活動していたものの、新興勢力の北条氏の進行に抗うことができず、ときに争い、ときに臣下となりという付きつ離れつを繰り返していました。

江戸城の太田康資の流れは早々に北条氏に下ったものの、国府台の戦いでの恩賞に不満があったらしく、その後里見氏と組んで北条氏に敵対しました。

結果的に敗北し、里見氏の内紛に巻き込まれて自害したそうです。

岩付城系の太田氏は、こちらも北条氏の進行に耐えきれず、城主の座を北条氏出身の養子に譲らねばならないところまでいきました。

しかし、太田資正は再起を掛けるべく、常陸の佐竹氏を頼って下っていきました。

その後は、武将として結構活躍したのですが、岩付城を取り戻すまでには至りませんでした。

結果的にどちらも華やかな大名としては残れませんでした。


この展示を見ると、太田氏がかなり大きな領主であったと感じます。

そして、中級程度の素性の良さを持っていたものの、新興勢力の北条氏に蹂躙されました。

大きな括りでは上杉氏(上杉謙信以前の扇谷家や山内家)とほぼ運命を共にしたと言えるのかも知れません。

戦国時代は本当に家名を残すのが大変な時代だったのですね。

こうした、中小の氏族に関して展示を行うことのできる横浜歴史博物館は改めてすごいと思います。



横浜市歴史博物館 道灌以後の戦国争乱

~7/31(月休) 9:00~16:30 一般600円 高大生300円 (常設展共通券 一般800円 高大生400円)

最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインなどのセンター北駅です。


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重文決定 氷川丸 [神奈川]

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今月、氷川丸が重要文化財として登録されることが決まりました。

氷川丸は戦前に造られ、太平洋を何度も往復した客船で、現在は山下公園の前に鎮座しています。

今はもう航行はできませんが、昭和初期の船が健在していることだけでも素晴らしいことです。

レトロブームなのか、艦内には年配の方や海外からの観光客だけでなく、若い人もたくさん来ていました。

特に一眼レフカメラを持ってあちらこちらを写真に収めていた女子や着物で来られている方が印象的でした。 

確かに、なかなか日常的に見ることのできないレトロでモダンな作りには惹かれます。

艦内には運行当時を再現した部屋がたくさんあり、古いせいか動いていないにもかかわらず足下が傾いているような感覚がありました。 

相対的に一等客用のスペースは広いのですが、それでもこのような狭い空間に2週間近くも居続けながら太平洋を横断していたとは当時の苦労を思います。

ちなみに数年前にクラゲの光る遺伝子でノーベル賞を受賞した下村博士もこの船で渡米したということです、もっとも乗れること自体がエリートの証しだったようですが。

 

艦内の一部には、氷川丸の歴史がパネル展示されています。

特に印象的だったのが、戦時中の病院船として運行していたときに現地の参謀に武器を輸送するように要求された話です。

病院船はその性格上、敵から攻撃を受けない取り決めとなっています。

そんな船が武器輸送をして戦争に参加すれば、氷川丸だけでなく全ての病院船の信頼が失われ攻撃対象とされてしまいます。

そのため、司令部に確認を取り武器輸送はしてはならないと言質を取り、事なきを得ました。

このおかげで現在もその姿を見ることができているのかも知れませんね。

往々にして現場の指揮官はこのように大義に疎い感じがあり、嫌悪感さえ覚えます。

 

氷川丸の名は大宮の氷川神社に由来し、船内には氷川神社の神紋である八雲の意匠があります。

氷川神社の御札も祀られていて、沈まない御利益があったと言われています。

氷川丸の重要文化財化で、氷川神社も賑わうでしょうか。

 

訪れた日は気持ちよく晴れた日で、オープンデッキが心地良いものでした。

しかし、案内によればその展望台の足下の部屋は隔離病室だったようですね。

長い船内で疫病が流行っては大変ですから、このような船の端にあるのでしょう。

おもしろいですが、縁がないに超したことはありません。

 

氷川丸

10:00~17:00 月休 300円

最寄りバス停は横浜市営バスの山下公園前です。


横浜市歴史博物館 蒔田の吉良氏 [神奈川]

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吉良氏といえば、忠臣蔵の吉良上野介を思い浮かべる人が多いでしょう。

横浜市歴史博物館で開催されている企画展の蒔田の吉良氏は、残念ながら吉良上野介につながる吉良氏ではありません。

とはいうものの元をたどれば、足利氏と同族の吉良氏であり、鎌倉期に分かれた一族ではあります。

吉良上野介の家系を京都の吉良氏あるいは三河の吉良氏と呼ぶ一方で、蒔田の吉良氏は武蔵の吉良氏と呼ばれます。

足利尊氏による倒幕に参加した縁で、関東に拠点を構えそのまま戦国時代を生き延びました。

蒔田の吉良氏の主な領地は世田谷と横浜の蒔田にありました。

室町後期は東京23区の西側は吉良氏、東側は太田氏というイメージでしょうか。

江戸城の名前に残る江戸氏も太田道灌に追い出された後は吉良氏の家臣となったようです。

そんな吉良氏は大きな事績はありませんが、名族であるが故に常に一目置かれる存在だったようです。

また、そんな吉良氏に注目して企画展を行ってしまう横浜市歴史博物館もさすがです。

 

吉良氏は名族であるが故に北条氏の関東進出にも影響を与えたようです。

当時の関東は鎌倉公方が関東管領と戦を繰り返していました。

北条氏も鎌倉公方(古河公方)を傀儡とすべく暗躍したようで、いざとなれば鎌倉公方の足利氏を廃して、同族の吉良氏を公方に据えるなんていう噂もあったようです(さらに補欠として足利氏のさらなる分家の今川氏の擁立も念頭にあったとか)。

そんな形で戦国時代を生き抜いた吉良氏でしたが、やがて吉良頼康の跡を北条氏の縁者で養子(連れ子?)の吉良氏朝が継ぎ、小田原合戦に敗れて表舞台から去ります。

そして江戸時代に入り吉良氏から蒔田氏に名字を改めるなどして細々と暮らしていました。

しかし、江戸中期になると吉良氏に名字を戻すとともに江戸幕府の高家になりました。

実は高家になれたのはそれまで存在した京都の吉良氏の吉良上野介が赤穂事件のために改易されたことも理由にあるようです。

つまり、江戸中期に高家の吉良氏は京都系から武蔵系へと移り変わったのです。

 

この展示では、以上のような吉良氏の歴史が資料とともに解説されています。

名族なだけあって興味深いところが多いですね。

吉良氏の深さを知ることが出来ました。

 

横浜市歴史博物館 蒔田の吉良氏

~8/31(月休) 9:00~16:30 一般300円 高大生200円 (常設展共通券 一般600円 高大生300円)

最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅です。 


相模国分寺跡 [神奈川]

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海老名駅から東へ進んだ小高くなったところに相模国分寺跡はあります。

少し北には国分尼寺もあり、奈良時代はこの辺りが相模国の中心地だったのでしょうか。

現在は塔の基壇の跡などが設置されているだけで、広い公園のようになっています。

海老名市周辺は東京や横浜へのベッドタウンとして発展著しく、駅前にも新しい巨大な商業施設があります。

相模国分寺跡も住宅街に囲まれていて、子供をはじめ地域の人の憩いの場所となっているようです。

ただ、講堂跡は道路により分断されていて、興を無くしているのが残念でなりません。

 

隣接する海老名市温故館では昔の航空写真などが展示されていて、海老名市の変遷が分かるようになっています。

それを見ると、戦後直ぐは周りが田んぼだらけののどかなところだったことが分かります。

今の市街化が想像できません。

ちなみに国分寺創建当時の隆盛を再現するかのごとく、海老名駅前のショッピングモールには七重塔の1/3の模型が設置されています。

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1/3でも十分に大きいものです。

今後機会があれば、遺跡の発掘調査をするのでしょうか。

何かスゴイものが出てくることが期待されます。

 

相模国分寺跡

海老名市温故館 9:00~17:15 無料 


川崎大師 赤札授与と川崎大師名宝展 [神奈川]

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今年は各地で秘仏特別公開(特別開帳)が行われています。

各地の観音様で午年特別公開が行われたり、先日記事にした汗薬師公開や真宗高田派の専修寺も特別公開がありました。

そして川崎市の川崎大師でも大開帳奉修が行われ、本尊が特別公開されています。

それぞれ12年ぶりだったり58年ぶりだったりと期間はまちまちであるため、今年が特別にタイミングの良い年に当たったのでしょう。

 

川崎大師の大開帳奉修は10年おきに行われ、参加すると赤札という護符が授与されます。

そこで、赤札をいただくべく向かったのですが、早めに着いたと思ったものの、既に本堂左手には多くの人の行列が出来ており数時間待つような状況でした。

上記写真のように、到着時には境内に人はまばらな状況だったのですが、あれよあれよという間に人は増え、帰る頃には境内が人で埋まりました。

これに比例するように赤札授与列もどんどん長くなり、境内を一周するかのごとく伸びていきました。

御利益を得るためには忍耐が肝要なのですね。

しかしながら、自分としてはあまりの待つ人の多さに並ぶのを諦めました。

調べてみると、授与は朝6時から行っているのですね。

遠方からの参加ではこの時間に伺うことは出来ませんが、そうした早い時間に訪問するのが賢明な選択であると感じます。

5月とはいえ日差しは強いですから、待つ場合には体調に注意したいところです。

 

さて、赤札待ちの列とは逆方向の建物に地下へ続く階段があり、そこを降りると寺宝展が開催されています。

これは大開帳奉修を記念して開かれている川崎大師名宝展で、 文化財としての修復が完了したことで総じて一般公開されています。

赤札待ちの列にうんざりしながらも、せっかく来たのだから何か面白い物がないかという気持ちを向けるには十分の内容です。 

展示されているものは、古くは奈良時代のものから、鎌倉、室町と時代的に古いものも多く、また、松花堂昭乗の書や尾形光琳の屏風など一流の作者による名品がありました。

また修復された様子は、受付でいただくことの出来る冊子に詳しく記載されており、どのように変わったのかを知ることが出来ます。

修復により得られた発見もあるようですが、絵の印象としては修復により全体的に線がぼんやりとして柔らかくなったように感じました。 

予定にない観覧でしたが勉強になりました。

 

川崎大師は参道での飴売り職人や境内での猿回し、殺陣披露など外国からの観光客も楽しめそうですね。

 

川崎大師名宝展

~5/18 9:00~16:00 無料  

赤札授与自体は5/31まで開催されます(6時~16時) 

最寄り駅は京浜急行の川崎大師駅です。 

京浜急行大師線は近々地下化工事が行われるらしく、10年後の大開帳は全く異なる景色となっていそうです。 


大通り公園と橋の詩 [神奈川]

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「大通り公園」と聞くと、もしかしたら札幌を思い浮かべるかも知れません。

しかし、よく見てください。

今回提示した大通り公園には「り」が表記に入っています。一方で札幌の方の表記は「大通公園」です。

「り」がある方の大通り公園は横浜市にあります。

関内駅から西に向かって延びている公園が大通り公園です。

両脇にマンションなどが建ち、真ん中を貫く広い空間には爽快感さえ感じます。

噴水もあり、多くの人がその緑に癒しを求めて過ごしていました。

横浜市の中心部とは離れていますが、こうした憩いの空間が存在するのは魅力的ですね。

このまっすぐな広い空間はどのようにして生まれたのかといいますと、実はここには運河が流れていてそこを埋め立てたそうです。

下にはこの運河跡に沿って地下鉄が走ってます。 

昔は船で運河を通っていた物流が、今は電車で地下を通っていると言うことでしょうか。

埋め立て跡の地盤は弱くないのか心配ですが、既に30年以上存在しているのですから問題ないのでしょう。

 

そんな昔の運河の様子を示す物が地下鉄伊勢佐木長者町駅の構内にあります。

「橋の詩」と題されたそのモチーフは当時かかっていた橋の銘板を貼り付けてアートとしています。

ここに限らず、かつての横浜の港を想起させる様々なものが、いまやモニュメント化しています。 

記憶を伝える物やテーマパーク化された物ではなく生活と隣り合わせであった頃の様子も見てみたかったですね。 

 

橋の詩

最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインの伊勢佐木長者町駅です。 


金沢文庫 仏像からのメッセージ [神奈川]

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前項からの続きです。

金沢区にある称名寺には金沢文庫があります[本]

しかし、地図で見ると金沢文庫の位置は称名寺からは山の向こう側にあります。

寺からは迂回していかなければいけない、あるいは山越えしなければならないのかと思っていると、境内から金沢文庫へトンネルが作られていました。

なぜそのような手の込んだ作りにしたのかと疑問に思っていると、どうやら鎌倉時代から既にトンネルが掘られ、金沢文庫へのアクセスとしていたようです。

実際の当時の金沢文庫の位置についてはまだ確定しているわけではないのですが、おそらく当時もトンネルを通って移動していたのでしょう。

鎌倉時代に作られたと思われるトンネルが現存して公開されています。

残念ながら崩落の危険があり中を通ることはできないのですが、フェンス越しに様子を見ることができます。

作りを見る限りは鎌倉時代と言われてもわかりません。

最近のものと変わらない気もするのですが、当時の技術がかなりの物だと言うことなのかも知れません。 

 

鎌倉文庫の特別展は仏像の中に納められた文章や小物の展示です。

鎌倉を代表する禅寺の文化ではこうしたことはまれなのですが、称名寺は真言律宗であり、こうした仏像内に文章を入れることは盛んに行われていたようです。

中身としては紙に仏を押印した印仏や仏像などがあります。

京都の浄瑠璃寺などでも見られるようです。

宗派は違いますが清涼寺の仏の五臓六腑なども同じような物でしょう。

どうやら、この仏像に入れる文書(紙・裏紙)には祈願者のゆかりの物が用いられるようで、中身の文書から誰に関連する仏像なのかと言うことも分かるようです。 

また、最近発見された運慶作による仏像も展示されていました。

 

最近の技術の進歩はすさまじいもので、X線により外から内蔵物の有無が分かるようです。

まだまだ隠れた大発見があるのかもしれません。

 

金沢文庫 仏像からのメッセージ

~2/5(月休) 12/29~1/3、1/10休み 9:00~16:00 一般500円 学生300円

最寄り駅は前項と同じシーサイドライナーの海の公園芝口駅です。 


称名寺 [神奈川]

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金沢区は横浜市の南部にありますが、この地で有名な物の一つに金沢文庫があります。

今でこそ「かなざわぶんこ」と読みますが、鎌倉時代には「かねさわ」ないし「かなさわ」と読んでいたようです。

加賀の金沢の音に引っ張られた形でしょうか。

 

その金沢文庫があるのが称名寺というお寺です。

この寺の起源は鎌倉時代の北条実時の持仏堂であると言われています。

その後子孫によって寺としての体裁を整えられ栄えたようです。

実際に北条実時の子孫は鎌倉幕府滅亡前の執権職にも就いています。 

しかし、そうした権力の中枢に近い寺であったことが災いして、鎌倉幕府が滅亡すると寺は衰退 してしまいました。

時代は下って江戸時代になると再び注目を浴びるようになり、本堂を初め様々な伽藍が再建されました。

金沢文庫があるということで、旗本や大名が勉学に励むための施設としての価値が見いだされたことによります。

現在残る多くの建物がこのときの物で、歴史のある寺ですが鎌倉時代を思わせる物は全く残っていません。

 

正門から入ると大きな寺だったことを思わせるように両側に塔頭があったかのような参道が続きます。

現在は飲食店が入っていますが、周りが住宅地であることを考えると飲食店が沢山あることでも栄えていたことを感じさせます。

そしてさらに山門をくぐると苑池が広がります。

池に架かる橋は手前が急な弧を描く橋で奥が平橋と異質な組み合わせであり、複雑な景色を作り出しています。

それでいて観光寺社にはない落ち着いた雰囲気がありました。

こうした散策にちょうどいい境内が無料公開されているのは素晴らしいですね。

もっとも、整備した主体が横浜市だからというのが無料の理由なのですが。

 

この称名寺は金沢八景の一つの「称名の梵鐘」としても知られています[るんるん]

落ち着いた雰囲気の境内に広がる鐘の音はとても心地よいことでしょう。

しかしながら、今年から鐘の老朽化のため除夜の鐘が中止されることになりました。

金沢八景「称名の梵鐘」 も過去の物になってしまったのかも知れません。

 

称名寺

最寄り駅はシーサイドライナー 海の公園芝口駅

ただし、わかりやすさで言えば京急金沢文庫駅あるいはシーサイドライナー海の公園南口からのアクセスの方がいいかもしれません。