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春雨庵 [山形]

春雨.jpg

山形県上山市を散策すると観光名所で名前がよく出てくる人に土岐頼行と沢庵和尚がいます。

土岐氏は江戸初期の上山藩主ですが、土岐頼行が藩主のときに紫衣事件を起こした沢庵が配流されてきました。

せっかくの高僧が配流とはいえ来訪したと言うことで、土岐頼行は沢庵からさまざまな教えを受けたそうです。

また、沢庵に対して生活するための建物として春雨庵を提供しました。

それが現在の春雨庵の始まりです。

結局数年後には沢庵は江戸に戻ってしまうのですが、その江戸での住居にも春雨庵と名付けました。

上山の春雨庵がその後どのような変遷を経たかについては明確に記載されていませんでしたが、再興されたのは最近のことのようです。

現在上山の春雨庵として伝わる建物は、品川の春雨庵の改築の際に古材を提供して貰い、それを利用して再建されたものです。

既に時を経た風格を漂わせる建築物ですが、沢庵がいた当時の建物ではありません。 

庵の内部には沢庵和尚の像が設置されています。

沢庵和尚の威厳を感じさせる重厚な像ではなく、どちらかと言えば蝋人形の類でしょうか。

かなり興のないものです。

庭には隣接して荒れ気味の茶室が設置されていました。

 

そして、もう一つここで注目すべきものは庭に設置された石灯籠です。

この灯籠は江戸の土岐氏の屋敷に伝わっていたもので、こちらも屋敷の解体に伴って上山市に引き取られたものです。

石灯籠6基と石塔1基があり、それが市内にいくつかに分かれて設置されています。

そのため至る所で土岐頼行の名前を目にすることになるのです。

そして、土岐頼行の名前を目にすれば、必然それと関連の深い沢庵和尚の話も書かれています。

これら二人の名前を目にする機会が多いのにはこうした理由があるのですね。

ちなみに土岐桜という物もあり、同じように説明には二人の名前が登場します。

 

特に分かりやすい二人を取り上げることで上山市の魅力をアピールしたいのでしょうが、土岐市が江戸時代中治めていたわけではなく様々な藩主の入れ替わりがありましたし、それ以前にも様々な領主がいたのですから、博物館をはじめその他の説明書きにもっと幅の広い街の魅力を提示することは不可能なのでしょうか。

温泉を始め、潜在的な観光資源に恵まれているのですが、散策すると街の荒れ具合を嫌と言うほど目にすることになり残念でなりません。 

魅力があると感じるのですが、春雨庵を始め現時点では中途半端な感じが否めません。

 

春雨庵

無料(茶室には100円程度の志納)

最寄り駅は奥羽本線のかみのやま温泉駅です。 


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りれきしょ

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
by りれきしょ (2013-12-06 14:38) 

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