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関宿城博物館 関東塩ものがたり [千葉]

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今回の関宿城博物館の展示テーマは「塩」です。塩というと海を思い浮かべますが、そもそも関宿は海から遠い土地で潮の香りは全くしません。世界の塩の60%は岩塩に由来すると言われますが、岩塩が取れる山が近くにあるわけではありません。では、なぜここで展示が行われるのか。千葉県の博物館で展示できる場所がここしかないから、と言ってしまうと元も子もありませんが、きちんと理由はあるようです。

江戸時代初期、関東への塩の供給のために千葉県の市川市行徳に塩田が作られました。今の地図でもその名残が見て取れます。京葉線にある「市川塩浜駅」はそのものズバリ、塩田があった土地なのですね。今では住宅街になってしまい当時の様子が全くわかりません。まさか駅名が実際の塩の浜を表しているとは思いませんでした。

このように、江戸初期には行徳で作られていた塩ですが、次第に安い瀬戸内海産の塩に負けていきます。行徳の塩は質が良かったとのことですが、大量生産と安価の塩が供給されればひとたまりもありません。ということで、販路を内陸部に求めていきました。行徳から江戸川を北上し到達した地、それが中継地の関宿だったのです。ここで荷を船から下ろし、内陸へ運んだそうです(もちろんさらに鬼怒川や思川などを北上するルートも有りました)。

そんなわけで、塩と関宿が繋がりました。ですが、行徳の話を茨城県に近い関宿で説明してもしっくりこないのは理解できます。ターゲットの絞り込みと博物館への誘導が難しいところです。千葉県は基本的に歴史系の展示が、大多喜、久留里、関宿と小さく点々としているので訪問のハードルが高い気がします。千葉県は結構面白い歴史を持つのですがいまいち話題になることがないのは、歴史をきちんと展示できる設備が整備されていないからだと思いますが、どうでしょうか。

民俗系の展示はあまり率先して見に行かないのですが、今回は実は千葉に塩田があったという新しい発見がありました。食卓の塩も、そこにあることが当然になっていますが、本来作るのには大変な労力がかかるものなのだと改めて感じました。普通を当然と思ってはいけないですね。


関宿城博物館 関東塩ものがたり

~11/27(月休) 9:00~16:30 一般300円 高大生150円

最寄りバス停はまめバスの関宿城博物館です。

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日本寺と“にっさく” [千葉]

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成田空港の向こう側、千葉県の内陸部に多古町はあります。

とてものどかな過ごしやすそうな地域でした。

普通の町と少し違うところといえば、時折、旅客機の巨体が空を横切るところでしょうか。

ゆったりとした時間を過ごすにはいい土地です。


そんな多古町の中心部から少し東に離れた台地の上に、日本寺はありました。

この寺の読みは「にっぽんでら」ではありません。

「にちほんじ」です。

“日本”を意識した名称というよりは、日蓮宗の寺ということで日の字が頭につくのかも知れません。

この日本寺は、かつて江戸時代には学僧で栄えていたのだとか。

通りから入っていく参道の雰囲気から、修行の場であることが少しわかる気がします。

参道途中の山門(写真)には、本阿弥光悦の書いたと言われる額が飾ってあります。

この日本寺は“あじさい寺”として売出し中の(売り出そうとしている)寺で、参道脇にはたくさんの紫陽花が植えられていました。

ですので、この時期の訪問は少し早すぎました。


さて、この日本寺には道の駅でレンタサイクル(500円)を借りて向かったのですが、途中の坂はなかなか厳しいものでした。

多古町のレンタサイクルが電動自転車であったのが理解できます。

そして、坂を上り終えると、バス停がありました。

何の変哲もない「西谷」という漢字表記でしたが、併記されている振り仮名に驚きました。

「にっさく」と書いてあるではありませんか。

何かの当て字かと思われましたが、全く想像できません。

そこで、帰宅してから調べて見ましたが、下総あたりでは、谷のことを「さく」と呼ぶ地域があるのですね。

西の谷なので「にっさく」です。

国土地理院の地図を見てみると、日本寺を挟んで反対側には「東谷」の字(あざ)の表記もあり、多古町に問い合わせたところ、「ひがっさく」と読むそうです。

谷は削られた土地ですが、「さく」の読みは「削(サク)」と関連があったりするのでしょうか。


多古町周辺は意外に面白い地名のある場所でした。



日本寺

最寄りバス停はJRバス関東の南中(みなみなか)です。

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国立歴史民俗博物館 文字がつなぐ [千葉]

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佐倉にある歴史民俗博物館ですが、ここは常設展示がとても充実しています。

結論から言ってしまうと、これまで何度か来ているのですが未だ全てを見ることができていません。

年に数回の特集展示も並行して行われているのですが、今回は時間が無く全く見ることができませんでした。 

企画展だけでもかなりの時間を要し、最後の方を駆け足で見たにもかかわらず数時間かかりました。

どうしてかと考えてみたのですが、テーマの設定が漠然として広く、展示資料が豊富なことが原因でしょうか。

今回は特に文字資料ということで、展示物を読み始めるといっこうに先に進みません。

 

今回の展示は日本と韓国の文字の交流に関する展示です。

メインは奈良~平安に掛けてのものですので、中国から伝わった漢字文化の話でハングルは殆ど出てきません。

よって、朝鮮半島出土の資料とはいえ、内容のだいたいは理解できます。

翻って考えれば、これこそが会話が通じなくても理解できるという漢字本来の役割であり、利点であるところです。

今回の展示の特徴はパネル説明や複製が多いところです。

海外の展示物を運ぶことは難しいでしょうから無理もないですが、それによって資料数が増える原因にもなった気がします。

 

さて展示の中身ですが、まず入口では原寸大の広開土王碑が出迎えてくれます。

教科書にも出てくるこの石碑がまさかこんな巨大な物だとは思っていませんでした。

天井に突き刺すくらいの大きさに驚きました。

また、貴重な国宝の「額田寺伽藍並条里図」 も展示されています。

合わせて当時の再現図も展示してあり、当時の地図の様子が分かります。

おもしろいことに使う染料によって生地の腐食が起こり、池や川の部分が局所的に抜け落ちているのが分かります。

一体成分は何だったのでしょうね。

また正倉院文書についても詳しく説明されていて、戸籍が年ごとに写されていく過程で誤記されていくものも紹介されていました。

具体的に言うと、「部」という字が、おそらく“おおざと”のみを抜き出して省略型としていた物が、やがて「マ」になってしまうものです。 

書いてある内容を考えずに丸写しして宿題を提出していた学生時代を過ごした人にとっては耳の痛い話かも知れませんね。

その他にも見るべき所は沢山あります。

 

ちなみに、ホームページなどでピックアップされていた「偽漢字」や「国字」に関しての展示は少なく、広がりのあるものではありませんでした。

面白い分野なのでしょうが、資料が少ない上に学問的要素もないのでしょうね。

 

このように盛りだくさんの内容で、さすが国立歴史民俗博物館という感じです。

頻繁に行けると良いのですが、次に行って展示の続きを見ることができるのは一体いつの日になることやら。

 

国立歴史民俗博物館 文字がつなぐ

~12/14(月休) 9:30~16:00 一般830円 高大生450円 

最寄りバス停はちばグリーンバスの国立歴史民俗博物館です。 


芳澤ガーデンギャラリー 京成電鉄展 [千葉]

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東京から千葉や成田空港を結ぶ京成電鉄の歴史を集めた特別展が開催されています。

場所は市川市の芳澤ガーデンギャラリーですが、なぜ京成電鉄であるのに「京」でも「成」でもなく市川市なのだろうと思っていると、その答えは展示の中にありました。

京成電鉄は開業当時は押上から東京都と千葉県の都県境の東京側まで線路を敷設し、そのときの駅名称が「市川駅」でした。

現在の江戸川駅ですが、千葉県側には江戸川が流れており簡単には橋が架けられなかったのでしょう。

千葉に到達していないのに市川駅を名乗ることに面白みを感じます。

やがて路線が延伸することで都内の市川駅は改称されますが、当時の市川市内には京成電鉄の社長の家があっったり、遊園地があったりと京成電鉄と縁深い土地であったようです。

そして、今年京成電鉄の本社が押上から市川市の京成八幡駅前に移りました。

以上のように京成電鉄の歴史には市川市が沢山登場するのです。

 

展示は資料公開やパネル展示をメインに電車の模型の運転や現代アートの展示が行われています。

京成電鉄は誕生後に上野公園下の掘削や地下鉄直通と改軌などさまざまな挑戦的試みを行っています。

それらを改めて見返すと深い歴史があるのだと感じます。

特にかつて改札で用いられていたパンチの駅ごとの一覧図は様々な形があり面白い物ですし、京成百貨店で使われている手提げ袋のデザインは京成電鉄の縁者であった東山魁夷の手によるものだというのも面白い話でした。

実際に受付でグッズを買うとその意匠の袋に入れてくれます。

そのほか電車の正面窓から撮影した映像を投影するコーナーもあり賑わっていました。

 

これからまた100年、200年と歴史を重ねていくとどんな発展があるのでしょうか。

願わくばそんな移り変わりを再び見る機会を得たいものです。

 

芳澤ガーデンギャラリー 京成電鉄展

~10/14(月休)  9:30~16:00 300円

最寄り駅は京成電鉄の市川真間駅です。

そこから非常に道が迷いやすいですが、真間銀座通りを道が細くてもひたすら北上してください。 


久留里城址資料館 争いと仲直りの江戸時代 [千葉]

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-承前-

せっかく久留里まで来ているのだからと、祭の合間に久留里城に登ってきました。

心臓破りの坂を登っていくと途中に久留里城址資料館があります。

ここでは、 企画展の「争いと仲直りの江戸時代」が行われていました。

入館料無料がうれしいですね。 

ちょうど祭の日に合わせたのか、展示解説が行われている場に遭遇しました。 

 

江戸時代の農村を中心とした土地境界の争いごとに注目した展示です。

水争いは有名ですが(今でも東南アジアの方では水争いがありますね)、川の氾濫後に流路が変わった場合、川が境界線の役割をしているために大幅に村が狭くなってしまう現象もあったそうです。

そうした状況下などでの村同士の折衝は、幕府を介在して書簡での裁判を行っていたというのは意外な感じがあります。

まるで現在の裁判のように原告、被告 、裁判官に役割が分かれ、お互いの言い分を調書として提出し、証拠(根拠)を重視して判決を下す。

江戸時代のイメージと異なるとても近代的なやりとりです。

むしろそれが事実なのですから、どれだけイメージの中の江戸時代が誤っていることか。 

力の強いものがぶんどるとか、代官の裁量により判決が決定するとか、そんな適当な社会のイメージが江戸時代にはありましたが、全く違うようです。

きちんとした文明社会がそこにはありました。

そういえば、どこで展示をされていたのか忘れましたが、鎌倉時代の土地の相続問題の裁判もとても文明的なやりとりが行われていたように覚えています。

近代的な分化は明治維新以降に生まれたという勝手な思いこみがあったようです。

そのほかにも、自治会費(組合の金)を集めて幕府からの仕事の遂行費として管理すべきものが一部の担当者の過剰な酒と食事に使用されていたことが発覚し、それを謝る詫び状も展示されていました。

今で言うところの会計検査院が税金の使途を調べたら、無駄な接待費・交際費に使われていたなんて指摘するようなものですね。

この展示を色々と見ていくと、日本人はこの400年間進歩をしているのか疑問に感じてきます。

好意的に捉えれば、日本社会は400年前に既に成熟しきっていたと言うことなのかもしれません。

 

文字の多い展示ですが、解説があったために非常に得るものの多い展示になりました。

展示解説はこんなにも重要なんですね。

おそらく何も説明なしに見ていたら、半分も理解しなかったことでしょう。

 

久留里城址資料館 争いと仲直りの江戸時代 

~12/2(月休、11/6,27休)  9:00~16:30 無料

展示解説:次回は11/8,25 の10:30~ と13:30~ です。 

最寄り駅は久留里線の久留里駅です。 


久留里城まつり [千葉]

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久留里線に揺られて木更津駅から小一時間、久留里城まつりに行ってきました。

久留里城はこの10年の間に3回も訪れている個人的にリピート率の高い城です。

久留里駅から結構な距離を歩かなければ城には着かないのですが、祭の日には無料のシャトルバスが城の下まで運行されると言うことで、この機に乗じて訪れてきました。

 

久留里駅に着くと駅前が祭の別会場となっていて、露店が出店している他に多くのイベントが催されていました。

駅前のシャトルバス乗り場も盛況でした。

運行しているのは祭の実行委員の方のようで、若い人が率先して祭を盛り上げようとしている姿が印象的で好感が持てます。

10分程度で祭のメイン会場である農村環境改善センターに到着です。

会場には午後の武者行列に向けて沢山の甲冑を着けた人々が集まっていました。

紙製と思われる甲冑を着ている方から、カチリカチリと金属音を鳴らす様子から金属製の小札(こざね)を付けた甲冑を身につけた方までさまざまな参加者がいるようです。

意匠もそれぞれ凝ったもので、武者だけでなく僧兵などもいました。

上の写真はまるで大河ドラマのワンシーンのようですね(下がアスファルトでないとだいぶ印象が違うのですが)。 

参加者が楽しんでいるのが一番です。

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甲冑を身につけている人が集まると圧巻です。

勇壮な格好をした一同を見渡すと・・・一番端に異端の武者(?)が。

ピンクの異質の生き物、これは君津市のキャラクターの「きみぴょん」だそうです。

緑のはちまきをして、武者モードです。

ゆるキャラグランプリにもエントリーしているそうです。

 

実行委員長のあいさつで「私は雨男で・・・」なんて言っていましたが、その後まさかの快晴が一瞬だけ小雨がパラついたのには苦笑してしまいました。

とにかくも観光客も参加者も楽しめる適度な規模のお祭りです。

 

久留里城まつり

10/27(2012年実績) 10:00~15:30

最寄り駅は久留里線の久留里駅です。 


銚子の外れ 犬吠埼 [千葉]

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かつて筆者が大学時代に教わった教授は筑波大学からやってきた先生でした。

その先生があるときカラオケに連れて行かれ、

「僕は犬吠埼だから歌えないよ・・・」

と、のたまいけり。

何のことかとよくよく聞いてみると、“調子の外れ”と“銚子の外れ”を掛けた崇高なジョークでした。

その発想に感心し、強く印象に残ったため犬吠埼には特別な思い入れがあります。

 

前置きが長くなりましたが、青春18切符で犬吠埼に行ってきました。

今年は涼しい夏なので旅行も苦ではないですね。

銚子の町は最近「ぬれせんべい」などで紹介されているせいか、結構な人出でした。

確かにぬれせんべいもいいですが、ここでのお勧めは寿司屋の伊達巻きです。

銚子駅直ぐ近くの「大久保」と言う店でいただきましたが、想像していた伊達巻きとはほど遠い濃厚な味で、甘さがプリンのようでした。

テレビにも良く紹介されるようで、別名を漁師のプリンというのだとか。

また、金目鯛の握りなんかも珍しいのではないでしょうか。

 

犬吠埼灯台には迷いながらも着きましたが、思ったより小規模なんですね。

99段の階段で上に上がれるのですが、1874年に造られた歴史とその造りのせいか結構怖い感じでした。

隣には資料館があり、外見は倉庫のように見えましたが、中は意外にもきれいで解説などがされています。

隣の犬吠埼マリンパークにも寄り苦笑してきましたが、周辺にはあまり見るものがないですね[たらーっ(汗)]

町からも外れているので散策というわけにもいきません。

まあ、灯台(岬)なんてこんなものでしょう。

 

帰りがけに一枚。もう秋の気配です。

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犬吠埼灯台

大人200円 8:30~16:00

最寄り駅は銚子電鉄の犬吠駅です。