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三河本多一族 安城市歴史博物館 [愛知]

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今年の大河ドラマ「どうする家康」はかなりの曰く付きの作品で、これまでの通説や諸作品とは毛色が違う家康像とその周辺が描かれています。時代劇に慣れていない若い視聴者には受け入れられるのかも知れませんが、そもそもそのような人はテレビを視聴する習慣が無いようにも思います。しかしながら、思いの外辛辣な批判を目にすることがありません。これは、媒体側が忖度して報道することを控えているというよりは、マニア層が最初から敬遠して見ていないことが考えられます。実際のところは分かりませんが。

さて、徳川家臣団の最も有名な人物の一人は本多忠勝でしょう。「どうする家康」ではかなりスマートなイケメンになっています。この本多忠勝を始めとした本多氏を紹介するのが今回の安城市歴史博物館の特別展です。なおこの展示は安城譜代家臣団特集の第2回で、第1回は酒井氏でした。

本多氏は大きく分けて5つの系統があります。本家筋と考えられる豊後守家(本多氏は元々豊後出身との説があることによる名乗りか)、本多忠勝を始めとした中務大輔家、本多正信を始めとした小川本多家、本多重次を始めとした作左衛門家、距離的に離れた東三河を治めた伊奈本多家です。展示ではそれぞれに分けて解説されています。今回の展示はその多くが文章の展示です。そのため、なかなか状況が想像しづらいかも知れません。加えて、上記の5家が何回も分かれて解説されるため、非常に混乱します。せめて、大きく「ここは〇〇家」と示して欲しく感じました。また、本多重次の作左衛門の系統を主に解説すると記載されていましたが、さほど重点的に扱っているようには思えませんでした。どのような合戦にどう参加し、領地はどのように変わり、後を継いだ誰が何をしたのか、その後系統はどうなったのか、もう少し説明を足し、線として示して欲しかった気がします。なお、作左衛門の系統は福井藩の結城秀康の家老となり、その後丸岡藩主ともなりましたが、改易されています。

三河譜代の家臣には魅力的な人物が多いですね。一人を取り上げるだけでも大きな企画展が開催できそうです。なお、前述の豊後守家も伊奈本多家も大名として明治維新を迎えています。

安城市歴史博物館は常設展も面白いです。訪れた日は特別展がかなりの混雑でしたが、常設展は観覧者1人でした。未訪問ならもったいない限りです。特に面白い展示は人面門壺形土器です。

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弥生時代の土器ですが、写真を見て分かる通り土器に人の顔が描かれています。その顔には特徴的な模様があります。これはおそらく当時の人の入れ墨ではないかということです。すごい顔をしていたのですね。こうした土器が安城市近隣では多数発掘されているそうです。全く知りませんでした。その他にも足利氏の一族の領地の分布など興味深い解説が多数ありました。新しい施設なので非常に見やすい展示室でした。

さて話を戻しますと、今回の本多氏の企画展の最もあるまじき失態は図録が会期にほとんど間に合わないことです。一ヶ月遅れの残り一週間になって図録が発行されました。どんなトラブルが有ったのかわかりませんが、入場者のほとんどの人がその場で手に入れることができなかったことになります。希望者は発行後に送料無料で送付してくれるとのことですが、気分の盛り上がりは逸します。一ヶ月遅れるということは印刷ミスではなさそうですが、二度と起こしてほしくない不手際です。


安城市歴史博物館 三河本多一族

~10/29(月休) 9:00~16:30 600円

最寄りバス停はあんくるバスの歴史博物館ですが、本数が少ないのでご注意ください。

また、安城市のレンタサイクル(無料)は令和5年9月30日をもって終了しました。今後、安城市はシェアサイクルのハローサイクリングを推奨するようです。

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宮宿の東外れの姥堂 [愛知]

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熱田神宮の南の街の中を歩いていると、一部分だけ他とは違う通りがあります。

周りの建物は何も変わったところのない住宅街なのですが、路面が綺麗に舗装されています。

そこがかつての東海道で、熱田神宮の南側には宮宿がありました。

現在の国道1号線は1本北の大通りとなっていますが、違う道となった分旧東海道は静かな雰囲気の中にあります。 

この宮宿から東海道は海を越え桑名へと至ります。

今はだいぶ埋め立てられてしまいましたが、当時は海が近かったのでしょう。

 

この宮宿の東外れの、雰囲気の良い喫茶店などがある通りの一角に不思議な建物があります。

姥堂です。

かつては熱田神宮に由来すると言われていた8尺の姥像が納められていましたが、残念ながら戦災で焼けてしまいました。

現在はその地にコンクリート造りの姥堂が再現されています。

建物両側の階段をおそるおそる上ると、2階には姥像が復元され安置されていました。

説明文によれば、復元の姥像はかつての1/2の大きさだそうです。

東大寺の大仏が夫であると言われるほどに巨大な姥像がどれほどの大きさであったか想像が付きません。

それ以外にも姥堂の建物敷地内には、裁断橋跡や都々逸発祥の地の石碑が設置されています。

裁断橋は小田原合戦で亡くなった息子を思ってその母が架けたという言い伝えがある橋で、現存せず名残のみが伝わっています。

ふと立ち寄った建物が歴史の深い物であったことに驚きました。

せっかくですので、旧東海道沿いにある一軒の喫茶店に入り、名古屋名物「あんかけパスタ」をいただき宿場を後にしました。

 

姥堂

最寄り駅は名古屋市営地下鉄の伝馬町です。