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廬戸宮跡 桃太郎生誕の地 [奈良]

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桃太郎といえば岡山県。

瀬戸内海を舟で行き、鬼ヶ島の鬼を退治して財宝を持ち帰る。

というのが、おとぎ話の地図を現実世界に落とし込んだときの位置関係だと多くの人は考えるでしょう。

そんな中、桃太郎の生誕の地を名乗る街があります。

奈良県の田原本市です。


海もないのに何故桃太郎なのか、ということなのですが、実は桃太郎の元になった伝説というものがあるのです。

それが吉備津彦の派遣です。

記紀に記載されているのですが、孝霊天皇の皇子である吉備津彦は吉備の国(今の岡山県)平定のため播磨に送られました。

これが桃太郎の鬼退治に繋がると考えられているのです。

つまり孝霊天皇の居住した廬戸宮が吉備津彦、つまり桃太郎が生まれた地という論理です。

もっとも、この田原本町黒田が本当に廬戸宮なのかどうかは分からないですし、ここで吉備津彦が生まれたかどうかも不明です。

それどころか吉備津彦が桃太郎なのかどうかも分かりません。

仮定の上に仮定を積み上げた上での桃太郎生誕地説です。


すべてを肯定的にとらえると、以下のようでしょうか。

廬戸宮で孝霊天皇の皇子として生まれた吉備津彦は“モモ”と言う名の何らかの輸送媒体によって吉備に隣接する播磨(針間)に入国した。

その地では「おじいさん」と「おばあさん」の家を拠点に吉備の国の平定を行った。

ただし、記紀的に言うと、お供をしたのはイヌ、サル、キジではなくて弟なんですがね。

さて、本当のところはどうなのでしょうか。


ちなみに、現在の廬戸宮跡には何もありません。

御堂が一つ建っていますが、浦島太郎の龍宮城帰りのように往時の栄華は全く感じられません。



廬戸宮跡

最寄り駅は近鉄田原本線の黒田駅です。

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おふさ観音 風鈴まつり [奈良]

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夏本番の暑い日が続きます。

奈良県にあるおふさ観音では夏の風物詩である風鈴をたくさん飾った風鈴まつりが行われています。


橿原市には今井町という昔からの伝統的建造物群を伝える地域があるのですが、そこから少し離れたおふさ観音の近くの住宅街も和風の意匠を備えた風流な家々が並んでいました。

道も狭く、車の往来にも難渋しそうな作りでありますが、影を作るものもないので、この気候では歩くのも大変です。

往路は目的となるおふさ観音の位置が不詳であったため、迷宮に迷い込んだかの気持ちさえ起こりました。

事前に調べていた情報から、無数の風鈴が境内に備え付けられていると知っていたため、いざとなれば風鈴の音を頼りに到着するのではないかと思っていたのですが、実際はそんな事はありませんでした。

風鈴の音が明確に認識できたのは、お堂の建物が見えた辺りです。

十分風は吹いていたのですが、意外に風鈴の音は遠くに運ばれないのですね。


実際に門をくぐると辺り一面風鈴です。

正面の境内から、裏手の庭まで所狭しと風鈴が吊り下げられ、風が吹くと一斉に鳴り響きます。

その様子は秋の鈴虫のようでした。

風流か、心地よいかと問われれば、むしろ挑戦的試みと理解するのが適当かと思われます。


さて、このおふさ観音には生き人形というものが伝わります。

受付で拝観料を支払うと、本堂へ案内され、お寺に伝わる数々の仏様などを鑑賞させていただけます。

その中の一つが生き人形なのですが、これは明治の天才人形師の安本亀八による飯田喜八郎像です。

像自体は大きなものではないのですが、確かに作り込まれている様子が感じられました。

鑑賞のための懐中電灯も完備され、それを用いて細部を観察すると、髪の毛や目などがかなり緻密です。

最初に簡単な説明でも紹介された手の甲の静脈も明らかでした。

こうした写実的な像が、業績のある為政者や徳の高い僧でなく、町人であるというところが面白いですね。

崇拝の対象とすべき像は、良い部分だけを抽象的な表現で引き伸ばして造り上げるのが理想だということなのかもしれません。

それ以外にも本堂の特別拝観では、北向観音像や役行者像、御本尊などを一周しながら見ることができます。


酷暑すぎる気候は数多の風鈴でも対処が不可能であることが分かりました。

汗は引くことなくひたすら滴り続けました。

ところで、この風鈴たちは夜もそのまま鳴り続いているのでしょうか。

隣近所にはかなり響いてそうですが、近頃は夜もクーラーを点けるので締め切ってしまうため、気にならないのかもしれませんね。



おふさ観音 風鈴まつり

~8/31 7:00~16:30 境内無料、本堂特別拝観300円

最寄り駅は桜井線の畝傍駅です。

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唐古鍵遺跡 ミュージアムリニューアル [奈良]

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唐古鍵遺跡は日本史の教科書にも登場する有名な遺跡です。

が、その実何がすごいのか分からず、単語としての記憶しかありません。

教科書で目にしてから多くの月日が過ぎましたが、折角なのでその凄さを自分の目で見て感じ取ろうと思い立ち、唐古鍵遺跡を訪れました。

ちょうどミュージアムもリニューアルオープンして直ぐのタイミングでした。


唐古鍵遺跡は弥生時代の環濠集落として名が知られています。

遺跡が見つかった土地は100年近くも発掘調査が繰り返され、今では史跡公園として綺麗に整備されています。

環濠集落という言葉にあまり特別感はないのですが、この唐古鍵遺跡の特殊性はその環濠の様子で、なんと多層構造をしています。

つまり集落の周りを何層もの環濠が取り囲んでいるのです。

実際に史跡公園にもその多層の環濠が再現されています。

それだけ、外部からの侵略の驚異にさらされていたのでしょうか。

史跡公園には出土した土器に描かれていた楼閣が再現されていて、モニュメントとなっています。

しかしながら、この楼閣の痕跡は未だ発掘には至っていないそうです。

未調査地にあるのかもしれませんが。もしかすると近世に灌漑用に作られた唐子池や鍵池といった溜池の造成によって失われてしまったのかもしれません。

実際に遺跡の中心には唐子池があり、現在のモニュメント的楼閣もその中に建っています。


この遺跡から南へ行くと、リニューアルした唐古鍵考古学ミュージアムがあります。

出土品の展示がメインで、種類ごとに分けて展示しています。

土器に描かれた絵からは当時の祭祀の様子もわかります。

唐古鍵遺跡はまだたくさんの謎を残しています。

一つは未だ明確な稲作の遺跡が発掘されていない点です。

そして、もう一つは突如として唐古鍵遺跡が歴史上から姿を消すことです。

何らかの理由により計画的廃村が行われたのではないかとの説もあります。

面白いのは、それと入れ替わるように東方の纏向遺跡が勃興することです。

果たして関連があるのでしょうか。


また、訪れた際には逸品として特殊な埴輪も展示されていました。

中央にスイジガイの模様を配した盾形埴輪です。

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始めスイジガイとは何か分からず、何かトゲのようなものを持つ不思議な模様が描かれているなと思っていたのですが、近くにいた職員さんに尋ねたところ南方系の貝の一種なのだそうです。

日本では手に入らない貝を持っていることがステータスだったのでしょう。

ですから、埴輪にそのような文様を描いていることは権力者の証だったのです。


唐古鍵遺跡は急速に整備されています。

史跡公園の整備、楼閣の修繕、博物館リニューアルだけでなく、今春には史跡公園の向かいに道の駅 レスティ唐古・鍵が誕生しました。

今まで影の薄かった田原本町が攻勢に転じたようです。



唐古・鍵考古学ミュージアム

9:00~16:30 一般200円 高大生100円

企画展の「唐古・鍵遺跡の重要文化財」との共通観覧券は一般300円 高大生150円です(~7/8)

最寄り駅は近鉄橿原線の田原本駅で、そこからレンタサイクルが便利です。

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