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横浜市歴史博物館 蒔田の吉良氏 [神奈川]

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吉良氏といえば、忠臣蔵の吉良上野介を思い浮かべる人が多いでしょう。

横浜市歴史博物館で開催されている企画展の蒔田の吉良氏は、残念ながら吉良上野介につながる吉良氏ではありません。

とはいうものの元をたどれば、足利氏と同族の吉良氏であり、鎌倉期に分かれた一族ではあります。

吉良上野介の家系を京都の吉良氏あるいは三河の吉良氏と呼ぶ一方で、蒔田の吉良氏は武蔵の吉良氏と呼ばれます。

足利尊氏による倒幕に参加した縁で、関東に拠点を構えそのまま戦国時代を生き延びました。

蒔田の吉良氏の主な領地は世田谷と横浜の蒔田にありました。

室町後期は東京23区の西側は吉良氏、東側は太田氏というイメージでしょうか。

江戸城の名前に残る江戸氏も太田道灌に追い出された後は吉良氏の家臣となったようです。

そんな吉良氏は大きな事績はありませんが、名族であるが故に常に一目置かれる存在だったようです。

また、そんな吉良氏に注目して企画展を行ってしまう横浜市歴史博物館もさすがです。

 

吉良氏は名族であるが故に北条氏の関東進出にも影響を与えたようです。

当時の関東は鎌倉公方が関東管領と戦を繰り返していました。

北条氏も鎌倉公方(古河公方)を傀儡とすべく暗躍したようで、いざとなれば鎌倉公方の足利氏を廃して、同族の吉良氏を公方に据えるなんていう噂もあったようです(さらに補欠として足利氏のさらなる分家の今川氏の擁立も念頭にあったとか)。

そんな形で戦国時代を生き抜いた吉良氏でしたが、やがて吉良頼康の跡を北条氏の縁者で養子(連れ子?)の吉良氏朝が継ぎ、小田原合戦に敗れて表舞台から去ります。

そして江戸時代に入り吉良氏から蒔田氏に名字を改めるなどして細々と暮らしていました。

しかし、江戸中期になると吉良氏に名字を戻すとともに江戸幕府の高家になりました。

実は高家になれたのはそれまで存在した京都の吉良氏の吉良上野介が赤穂事件のために改易されたことも理由にあるようです。

つまり、江戸中期に高家の吉良氏は京都系から武蔵系へと移り変わったのです。

 

この展示では、以上のような吉良氏の歴史が資料とともに解説されています。

名族なだけあって興味深いところが多いですね。

吉良氏の深さを知ることが出来ました。

 

横浜市歴史博物館 蒔田の吉良氏

~8/31(月休) 9:00~16:30 一般300円 高大生200円 (常設展共通券 一般600円 高大生300円)

最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅です。 


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