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久留里城址資料館 争いと仲直りの江戸時代 [千葉]

訴訟.jpg

-承前-

せっかく久留里まで来ているのだからと、祭の合間に久留里城に登ってきました。

心臓破りの坂を登っていくと途中に久留里城址資料館があります。

ここでは、 企画展の「争いと仲直りの江戸時代」が行われていました。

入館料無料がうれしいですね。 

ちょうど祭の日に合わせたのか、展示解説が行われている場に遭遇しました。 

 

江戸時代の農村を中心とした土地境界の争いごとに注目した展示です。

水争いは有名ですが(今でも東南アジアの方では水争いがありますね)、川の氾濫後に流路が変わった場合、川が境界線の役割をしているために大幅に村が狭くなってしまう現象もあったそうです。

そうした状況下などでの村同士の折衝は、幕府を介在して書簡での裁判を行っていたというのは意外な感じがあります。

まるで現在の裁判のように原告、被告 、裁判官に役割が分かれ、お互いの言い分を調書として提出し、証拠(根拠)を重視して判決を下す。

江戸時代のイメージと異なるとても近代的なやりとりです。

むしろそれが事実なのですから、どれだけイメージの中の江戸時代が誤っていることか。 

力の強いものがぶんどるとか、代官の裁量により判決が決定するとか、そんな適当な社会のイメージが江戸時代にはありましたが、全く違うようです。

きちんとした文明社会がそこにはありました。

そういえば、どこで展示をされていたのか忘れましたが、鎌倉時代の土地の相続問題の裁判もとても文明的なやりとりが行われていたように覚えています。

近代的な分化は明治維新以降に生まれたという勝手な思いこみがあったようです。

そのほかにも、自治会費(組合の金)を集めて幕府からの仕事の遂行費として管理すべきものが一部の担当者の過剰な酒と食事に使用されていたことが発覚し、それを謝る詫び状も展示されていました。

今で言うところの会計検査院が税金の使途を調べたら、無駄な接待費・交際費に使われていたなんて指摘するようなものですね。

この展示を色々と見ていくと、日本人はこの400年間進歩をしているのか疑問に感じてきます。

好意的に捉えれば、日本社会は400年前に既に成熟しきっていたと言うことなのかもしれません。

 

文字の多い展示ですが、解説があったために非常に得るものの多い展示になりました。

展示解説はこんなにも重要なんですね。

おそらく何も説明なしに見ていたら、半分も理解しなかったことでしょう。

 

久留里城址資料館 争いと仲直りの江戸時代 

~12/2(月休、11/6,27休)  9:00~16:30 無料

展示解説:次回は11/8,25 の10:30~ と13:30~ です。 

最寄り駅は久留里線の久留里駅です。 


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