SSブログ

鉢形城主 北条氏邦 埼玉県立歴史と民俗の博物館 [埼玉]

hojyo2.jpg

戦国時代末期、北条氏はあっという間に関東地方を手中に収めていきました。室町時代から続く関東管領上杉氏も古河公方の足利氏も北条氏に屈して関東から追いやられる、もしくは乗っ取られるような状態でした。いかにも下剋上の戦国時代という感じです。北条氏がここまで強かった理由は、一族の結束が硬かったからでしょう。今回の展示の中心の北条氏邦は北条氏政の弟ですが、この兄弟にはそれ以外にも北条氏規、北条氏照と有能な武将がいました。同様な下剋上で大きくなった家は織田家も伊達家も毛利家も、兄弟でのお家騒動が起きたことを思うと、一族が仲睦まじいのは結構稀なのではないでしょうか。

北条氏邦は主に武蔵から上野方面を治めていた武将です。藤田康邦の養子となり、鉢形城から北関東方面に睨みを効かせていました。真田氏との名胡桃城を巡る諍いから小田原征伐が起こったことを考えると、北条氏邦も深く関わっていた可能性があります。

今回の展示は、昭和52年以来の北条氏邦へスポットライトを当てたものだそうです。その後、新しくわかったことなどがあり内容が更新されているそうですが、さすがに覚えている人は殆どいないでしょう。

鎧や鞍、刀などもありましたが、展示の殆どが文字資料です。多数の元服前からの北条氏邦関係の手紙などが集められていました。

後半は修復が完了した法養寺薬師堂の木造十二神将立像などです。こちらのみ会場内で写真撮影が自由となっています。十二神将というくらいですから12体の像があるのですが、それらは十二支が元になっています。一堂に並んでいるのですが、並んでいるからこそその作りの違いがよくわかります。鎧の表現なども、制作が途中では?と思わせるものもありました。冒頭の写真は“申”です。今回の展示のチラシにも採用されている像ですが、なぜこの像が選ばれたかというと、この像の土台に「氏邦本命星(北条氏邦の生まれた年の干支です)」との墨書が残されていたからです。つまり、最も重要な像なのです。

飛ぶ鳥を落とす勢いで広がっていた北条氏の領土ですが、豊臣秀吉の登場で一気に形成が逆転し、歴史の表舞台から消えていきました。北条氏邦も前田家に預けられ、江戸時代になる前に亡くなっています。鉢形城の方も北条氏邦が去った後は破却され、江戸時代には伝わりませんでした。こうして、寄居地域に残った戦国時代の雰囲気は一気に消えていったのです。

ですが、そんな北条時代の活気を取り戻そうと、寄居町では5月に「北條まつり」を開催しています。荒川の玉淀河原で甲冑武者が戦ったり、鉄砲を放ったりする豪壮な祭りです。今回埼玉県立歴史と民俗の博物館を訪問した日は、寄居からこの祭りのアピールのための人々がやってきていました。本物の銃を持たせてくれたり、撃ち方の説明をしてくれました。

hojyo1.5.jpg

何年も祭りに参加している人らしく、甲冑が似合っています。あたかも戦国時代からタイムスリップしたようでした。


埼玉県立歴史と民俗の博物館 鉢形城主 北条氏邦 

~5/6(月休) 9:00~16:00 一般600円 学生300円

運が良ければ、博物館最寄りの施設に割引券が付いたチラシが置いてあります。

最寄り駅は東武野田線の大宮公園駅です。

nice!(0)  コメント(0)