埼玉県立歴史と民俗の博物館 狩野派と橋本雅邦 [埼玉]
江戸幕府の崩壊を挟んだ御用絵師の顛末。
室町時代から江戸初期にかけて狩野永徳や探幽を輩出した狩野派は、江戸時代を通して奥絵師や表絵師となり幕府と密接な関係にありました。
しかし、それは江戸幕府が崩壊すれば職を失うことにもなります。
今回はそんな時代の絵画作品や資料を展示しています。
今回取り上げている狩野派は、数派ある中の奥絵師の家系の一つである木挽町狩野家に注目しています。
木挽町とは今の歌舞伎座の辺りだそうです。
特にそこに屋敷を賜った狩野典信から明治維新を迎える狩野雅信に焦点を当てています。
また、木挽町狩野派と並行して弟子の橋本家の人物も紹介され、共作の絵巻物の模写なども公開されていました。
その弟子の橋本家の一人が雅邦です。
展示は古典的な狩野派の延長線上にある各代の作品が始めに紹介され、時代とともに変化していく構成となっています。
特に狩野養信の「源氏物語子の日図屏風」は最近描かれたのではないかと思うほどの鮮やかな色彩で、100年以上前のものとは思えませんでした。
様々な作品がありましたが、江戸時代の狩野派と橋本雅邦の作品は日本画という言葉が相応しい様相の作品です。
ところが、明治維新が起こると生活は一変します。
弟子筋の橋本家だけでなく狩野家さえも生活に困窮し、領地であった久喜市の農民に米の援助を請う生々しい手紙が展示されています。
このやりとりには見返りに一筆描いて渡していたりするのでしょうか。
橋本雅邦も同様で、絵画を描く職はなく、海軍の測量図などを書いたり内職したりして生計を立てていました。
明治維新で国民も西洋のものを礼賛する風潮になってしまい、日本の伝統的な一切の物が否定されてしまうような状況だったのでしょう。
新しい物が入ってくると、それが生活を良い方向に変えてくれるだろうと人々が盲進してしまう様はいつの時代も同じですね。
新しい物であれ、変革に信念がなければ何も生み出さないのです。
現状の不満は状況を変えることで解決するとは限りません。
新しい物が本当に素晴らしい物なのか、古い物が打つ棄てるべき価値しかないのか、見極める力が肝心です。
閑話休題、そんな明治維新から暫くして日本画復権運動が起こり、橋本雅邦も活躍するようになります。
まさにこの頃の作品が横山大観や菱田春草に影響を与えたのがよく分かる新しい日本画を生み出しています。
特に注目すべき点は水平線の位置で、古典的水墨画では画面上方に現れているのですが、明治維新後の画では通常人が見るときのように画面より下方にあります。
これが、西洋画の技術を取り込んだ新しい日本画の特徴のようです。
今回の展示作品は伝統的な狩野派の絵画だけでなく、和洋折衷の印象のある新しい日本画の優れた作品が多くあったように思います。
しかしながら、それらの絵画作品はどれも重要文化財や国宝に指定されていません。
おそらく明治維新期の物であり、時代が浅い事が理由であると考えられます。
評価に値しないわけではないのですから、数年先には多くが指定されると期待できるのではないでしょうか。
埼玉県立歴史と民俗の博物館 狩野派と橋本雅邦 そして、近代日本画へ
~11/24(月休) 9:00~16:30 一般600円
最寄り駅は東武野田線の大宮公園駅です。
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