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鴻臚館跡展示館 [福岡]

鴻臚館.jpg

学生の頃、なぜ平安時代頃の使節のための饗応施設は「鴻臚館」と呼ぶのだろうと疑問に思っていたことを今でも覚えています。

それから月日は流れて、つい最近読んだ本で中国の三国時代の外務大臣に相当する職を「大鴻臚」と呼んでいたことを知りました。

つまり「鴻臚館」という言葉は中国由来のものだと今更ながら知ったわけです。

当時は遣隋使や遣唐使を派遣して制度や文化を吸収していましたが、「鴻臚館」もそうしたものの一つなのですね。

 

「鴻臚館」は平安時代頃まで国の重要な外交施設だったにもかかわらず、つい最近までその位置が特定されていませんでした。

大正時代になって九州帝国大学の中山平次郎博士が福岡城の跡地であると提唱し、それが発掘され証明されたのは1987年になってからです。

本当に最近のことなのです。

この中山博士がすごい人物で、医者にもかかわらず考古学に造詣が深く鴻臚館の跡地を見出しただけでなく、それを証明すべく当時福岡城に駐屯していた陸軍の敷地内を祭で開放したタイミングを見計らって掘り起こして目的の遺物を入手するといいう荒技をやってのけています。

ときに運悪く守衛に捕まることもあったようで、命がけの発掘です。

しかしながら、溢れる行動力と強い信念には見習うべきものがあります。

医者という現在の身分に甘んじてフロンティア精神を忘れてはいけないのですね。 

 

かつて平和台球場があった当該の発掘現場では多くの遺物が出土し、現在も発掘進行中です。

また、その発掘結果を公開するべく、現地には展示館が開設されています。

史跡を出土した状態で公開しているほか、当時の白磁や木簡などが展示されています。

また、建物の外の広場には礎石跡や2カ所の施設を隔てていた堀の跡などがデザインされてわかるようになっています。 

今まで分かっていなかった施設の概要が日進月歩で明らかになっているのですね。

 

展示館の道を挟んで向かいにはプレハブの小展示室もあります。

こちらでは速報展などが行われるとのことですが、行ったときは大きな展示は行われていませんでした。

しかしながら、パネルで説明された飛鳥~奈良期の施設の変遷のパネル展示は移り変わりを分かりやすく感じ取ることが出来ました。

この移り変わり自体は展示館の映像としても見ることができます(流れている映像ですので違う時期同士の横断した比較はしづらいものです)。 

 

鴻臚館以外にも未だに場所の特定がされていない施設もたくさんあるようで、歴史の教科書が今後大きく書き変わる可能性もまだ大いにあるようです。 

今後の発掘による大発見を期待します。

 

鴻臚館跡展示館 

9:00~16:30 無料

鴻臚館跡小展示室

土日祝閉館 9:00~16:30 無料

最寄り駅は福岡市営地下鉄空港線の赤坂です。 


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