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人吉城と相良清兵衛の地下室 [熊本]

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人吉を治めていた相良氏は鎌倉時代から江戸時代まで続いた名族として知られています。

もちろん、その間にはお家騒動など存亡の危機に遭遇したこともありました。

また、島津氏や豊臣秀吉などの外患に対しても難しい立場になることもありました。

その度になんとか切り抜けて、今の人吉の街の基礎を作り上げてきました。

 

特に関が原の戦いでは西軍に属していたため、あわや敗戦からの取り潰しになる恐れがあったのですが、家老の犬童頼守の交渉力によって徳川家康に内通し、土壇場で東軍に寝返ることによって所領安堵となりました。

この犬童頼守は主君から相良の姓を名乗ることを許されていたため、地元では相良清兵衛の名で知られています。

しかしながら、初見では 犬童頼守=相良清兵衛とならず、相良清兵衛とは誰か分かりかねました。

資料館などでは相良清兵衛で表記するのが好きなようです。

しかし、この犬童頼守はその後専横が過ぎるということで、幕府からの呼び出し、および一族の誅殺を招きます。

その際に館は焼け落ちたのですが、近年の発掘からそこには謎の地下室があることがわかりました。

人吉城歴史館にはその地下室遺構が復元され、中に降りて見ることができます。 

水場が備えられた地下室は、解説員の説明では宗教的施設、清めの場の可能性があるとのことでした。

人吉にだけそのような文化があったのでしょうか。

 

人吉城の以降もきれいに残っています。

石垣も見事なのですが、最近の軟弱な行政の姿勢と違って石垣のきわには柵も何も設置されていません。

石垣の手前まで芝の広場が広がっているので、よそ見をして走り回っていると確実に落ちます。

歩きスマホをしている人にはその危険性が如実にわかる場所かもしれません。

しかし、だからこそ美しい展望が開かれているのであり、自分の身は自分で守るということで過剰の防護柵は必要ないでしょう。

 

人吉は交通の結節点です。

熊本市からは宮崎行きも鹿児島行きも高速バスがインターに止まるのでアクセスに利用することができます。

また、JR九州の観光列車が数多く走ってもいます。

SL人吉、いさぶろう・しんぺいに加えてこの春からはかわせみ・やませみも走るようになりました。

まさに観光する目的地として価値のある地だと言えます。

 

人吉城歴史館

第2月休 9:00~16:30  200円

最寄りバス停は人吉周遊バスじゅぐりっと号の新町です。

 

追記:

人吉駅では各種駅弁が販売され、ホームでの立ち売りの実演もあるのですが、実は「人吉駅弁やまぐち」が販売しているサンドイッチもオススメです。

ただのサンドイッチではなく、ハムサンドにはアクセントとしてパイナップルが入っています。 

知らずに朝ごはんとして買ったのですが、その味の妙に驚きました。

機会があったら食べてみて下さい。 


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