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さいたま市立博物館 天保の時代とその世相 [埼玉]

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天保の改革を覚えているでしょうか。歴史の重要な時代であるにも関わらず、博物館などの特別展では取り上げられることが少ないです。しかしながら、幕末につながるキーワードが隠れています。この天保の改革を行った人物こそが水野忠邦ですね。

今回の特別展ではこの天保の改革の時代とさいたま市の状況を特集しています。そもそもこの改革が始まった理由は天保の飢饉です。大坂では大塩平八郎が蜂起し、大きな社会問題をもたらしました。もっとも、最近では大塩平八郎は決して義民ではなかったとの評価が出ているようで、教科書的にも今後変わる可能性があるようです。この飢饉に対処するべく数々の施策が取られます。しかしながら、関東や畿内の領地を天領とする「上知令」は大名の反対にあい頓挫しました。また、農村から都市部へ流入した農民を戻す「人返し令」もありました。農村に人を戻し、米をたくさん作らせようとの意図があったのでしょう。しかし、これは正しかったのか甚だ疑問です。飢饉で食べるものがないから都市部に職を求めて出ていったのであって、これを強制的に村に戻せば食い扶持が増える分、村全体が困窮してしまいます。飢饉で作物が育たない問題は人手が増えても解決しないでしょう。そう考えると、この「人返し令」は現場を知らない机上の対策な気がします。

そんなこんなで結局うまくいかなかったというのが天保の改革でした。この社会の動乱を引きずって、やがて時代は幕末に入っていきます。

後半は日光社参とさいたま市域の村々の対応の話でした。

武士の移動に注目した考察はよく見ますが、そのときに農村がどのように動いてどんなトラブルが有ったかは市立博物館レベルではないとあまり出てきません。御成街道の砂利敷など色々と大変だったようです。

安定した江戸中期から激動の幕末へと時代が進む中で、天保の時代はとても重要です。ところで、飢饉の時期に農民や武士が大変だと騒ぐのはよく分かりますが、飢饉明けの農民の反応はどうだったのでしょうか。今年は飢饉じゃなかった!と歓喜したのでしょうか。そうした、なかなか注目されない部分も明らかになっているようならば、更に面白かったでしょう。

しかしながら、なかなか目にすることのない時代に注目したとても挑戦的な企画展だったと感じます。


さいたま市立博物館 天保の時代とその世相

~11/20(月休) 9:00~16:30 無料

最寄りバス停は国際興業バスなどの氷川参道です。

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