京都大学総合博物館 医は意なり [京都]
京都は千年の都ですから、蓄積されている医学知識も歴史があります。
この展示では医学の歴史にかかわった京都の人物や世界の中の日本の業績について紹介しています。
最初のコーナーは医学の歴史についてですが、医心方を著した丹波康頼に始まり、 曲直瀬道三や華岡青洲、山脇東洋などが紹介されています。
それ以外にも京都の町で活躍した医師についてもたくさん紹介されていたのですが、残念ながら覚え切れるような人々ではありませんでした。
そして近代から現代。
高峰譲吉や上中啓三のアドレナリンの発見などを経て、現在も臨床的に使われる薬の話になります。
脂質異常症治療薬であるスタチン系の話やタクロリムスの発見、アルツハイマー治療薬などが書かれていました。
いろいろ見てみると日本で開発された薬も意外と多いのですね。
もちろんパネル説明と並行して当時の資料や機器が展示されているのですが、見て感動を得られるような気はしませんでした。
オリンパス社製の胃カメラの初期型とかありましたが、もしかすると見る人が見れば非常に価値のあるものなのかもしれません。
医療制度の歴史や看護の歴史などに続いてiPS細胞なども紹介されています。
現在進行中の科学についても一緒に展示するとはおもしろいですね。
開催年が昨年ならばES細胞、iPS細胞とともに話題のSTAP細胞も載っていたかもしれないと思うと、苦笑してしまいます。
もちろん今回の展示では一切登場しません。
科学の分野の説明については、手前味噌感をとても感じました。
最後に一連の流れとは異質な展示として福知山市の大原神社の産屋が紹介されています。
かつて出産は穢れと考えられた時期もあり、母屋で産むことはできませんでした。
その名残がこの産屋なのか、神社の一角に作られたこの茅葺き屋根の建物で出産は行われたそうです。
現存していると言うことですので、機会があれば訪れてみたいものです。
京都大学総合博物館 医は意なり
~4/12(月・火休) 9:30~16:00 一般400円 大高生300円
最寄りバス停は京都市営バスの百万遍です。
大谷大学博物館 戦国武将と神仏 [京都]
戦国時代は命のやり取りが多かったせいか、神仏への信仰も盛んだったように思います。
この展示では戦国大名の神仏への帰依を示す資料を時代ごとに示しています。
戦国大名で有名な人と言えば、上杉謙信や武田信玄、そして伊達政宗が挙げられると思います。
謙信や信玄は名前からも分かる通り、仏門に入りながらも当主として治めていました。
また、伊達政宗も幼名が梵天丸であることは、仏教との縁の深さを感じさせます。
当時はそれほどまでに生活に信仰が入り込んでいたのです。
そのような時代ですから、神仏に誓いを立てる起請文の持つ影響力はとても大きい物だったでしょう。
今の時代の「神様に誓って~」とは全くレベルの違う話です。
そして、天下統一を導いた、信長、秀吉、家康も三者三様の宗教の利用の仕方をしたと思います。
既存の宗教を否定し、自らが神になることを考えた信長。
天下統一し、実際に豊国神社を建てることで豊国大明神となった秀吉。
江戸幕府を開き、東照大権現とななった家康。
そうした、天下人の資料も展示されています。
しかし、何よりもインパクトが大きかったのが、三宝荒神形兜です。
上杉謙信着用と伝わるらしいですが、三面の憤怒相が乗る変わり兜はいかにも重そうで実用的かどうか甚だ疑問です。
ただ、荒神の仏教精神保護の役割を考えると、上杉謙信が愛用していてもおかしくないとは思うのですが。
全体的にもう少し掘り下げても面白かったようにも思います。
大谷大学博物館 戦国武将と神仏
~11/29(日月休) 10:00~16:30 500円
最寄り駅は京都市営地下鉄烏丸線の北大路駅です。
京都国立博物館 帰ってきた平常展示館(平成知新館) [京都]
老朽化による改築のため休館していた京都国立博物館の平常展示館が再開されました。
建て替えられる前の記事はこちら。
新しくできた建物は開放的な作りで天井も高く、建物の前には池が造られています。
しかし、予想していたよりもおとなしいデザインで、特徴的な印象はありませんでした。
中は三階建てになり、 区切りのあるスペースにテーマごとの展示が行われています。
現在の展示は「京へのいざない」です。
改築前と同様に国宝や重要文化財を沢山並べて展示しています。
残念ながら展示替えが何度も行われるため、訪れた際は教科書に載っているような国宝は少ない期間でした。
そんな中でも一番注目した国宝は、豊臣秀吉の特集展示室内にあったポルトガル国インド副王からの親書です。
1588年に日本統一を祝して送られた親書で、ポルトガル語?と様々な西洋の絵が描かれている変わったものです。
そもそも歴史的に日本統一がなったのは1590年とされているのですが、小田原の北条氏は無かったことになっているのですね。
綺麗になった展示施設ですが、まだ慣らし運転の状況でしょう。
今の照明配置では説明文を読もうとして展示品の正面に立つと、説明文に自分の影が落ちて暗くなってしまい見にくいなどの改善の余地があります。
また、以前の建物に比べて広く感じますが、展示量は減っているのでしょうか。
屏風のような大きな作品を遠くから見るのには適しているのですが、寒々しくもあります。
しかし、何十年後には再び円熟した施設になっている気がします。
ちなみに注目すべき展示品でありながら今回見られなかった国宝 源頼朝像、平重盛像は以前のさよなら展示で公開されていたのですね。
完全に忘れていました。
京都国立博物館 京へのいざない
~11/16(月休) 9:30~16:30 一般520円 大学生260円
最寄りバス停は京都市営バスの博物館・三十三間堂前です。
毎週金曜日は20時まで開館していて、博物館敷地からは綺麗にライトアップされた京都タワーを見ることができます。
粟田神社 粟田大燈呂 [京都]
粟田神社は東山の青蓮院の北にある神社で、粟田祭が行われます。
この祭は夜渡り神事の際に写真のような青森のねぶたのような灯籠が造られ、巡行する特徴的な物となっています。
巡行列には松明を先頭に剣矛や太鼓、そして10基の大燈呂が続きます。
神社の参道を出ると三条通を西に向かって進み、神宮道を南進し、知恩院前にある瓜生石へと向かいます。
ここが祭礼の場です。
神社の一行が瓜生石に到着すると、知恩院の門へ続く石段の明かりが一斉に灯され、門から知恩院の僧が出てきます。
そうして瓜生石前で神主と僧侶が対峙し、祭礼を執り行うのです。
明治期の廃仏毀釈が神仏混淆文化を破壊しましたが、京都には多くの場所で未だに残っているのを目にします。
この祭礼もその一つです。
宗教の枠を越えた祭礼こそ平和につながるのではないでしょうか。
さて、この神事を華やかにする大燈呂ですが、実は絶えて久しかったものを京都造形大の協力により平成20年に180年ぶりに再興したものとのことです。
今年の隊列には、牛頭天王、青龍、大己貴、光秀と狛犬、出世えびす、八岐大蛇、羊、烏天狗、一つ目小僧、合槌稲荷(写真)の10基です。
確かに、歴史書に残る通り、豪華で印象に残る祭礼でした。
それでいて、観光向けにはいまいちアピールされていないのは、再興してから日が浅いからでしょうか。
しかし、これが100年、200年と続けば、時代祭に匹敵するような、素晴らしい伝統になりそうな気がします。
粟田神社 夜渡り神事 粟田大燈呂
10/12(2014年実績) 18:00~ 台風19号襲来のため翌13日の神幸祭中止
最寄り駅は京都市営地下鉄東西線の蹴上駅です。
大谷大学博物館 伊能忠敬の日本図 [京都]
大谷大学といえば三島由紀夫の金閣寺のイメージが強い。
北大路駅前にあるものの一度も足を踏み入れたことはありませんでした。
用事がないのですから当然といえば当然です。
それがこのほど学内の博物館で伊能忠敬の日本図展を行っているということで初めて入ることになりました。
伊能忠敬の業績はとても分かりやすく、展示映えがしますね。
この展示でも国宝がいくつも展示されていました(国宝としての登録はひっくるめて1件なので悪しからず) 。
この展示のメインは大図、中図、小図の3種ある伊能忠敬の地図(正式名称:大日本沿海輿地全図)のうち伊能中図で、日本を8分割した地図が会期の前後期に分かれて公開されています。
この地図の来歴も独特なもので、どういうわけかフランスで見つかり紆余曲折を経て四条通にある日本写真印刷の所有するところとなったいわくつきのものです。
状態はよく、複写したときの針孔がくっきりと見られるそうです(展示では見られません)。
現在の地図と違わぬ精巧な作りに驚きつつ、書いてある地名の古さのギャップがとても興味深いものになっています。
富士山を見れば、各地から富士の方位を測った赤い線が結ばれていて富士山の偉大さを改めて感じます。
今、同じことをしようとしても高い建物が多すぎて、山を方角の参考として用いることは無理でしょうね。
貴重な品を間近に見られて満足しました。
しかし、この展示には別の興味深い点がありました。
伊能忠敬とは関係ない当時の古地図(世界地図)も展示されているのですが、その表記をじっくり見ていると面白い事実に気づきます。
今回展示されている地図にはオランダのファレンテインの地図やイタリアのベランの地図があったのですが、その地図の地名に当時の音の写しを見ることができるようです。
当時の日本語にがんばってアルファベットを当てたのでしょう。
伊豆→Idsu、飛騨→Fidaなどなど
しかし、注目すべきは「加賀→canga」の表記で、すべての地図に共通しています。
kがcで書かれているということではなく、nが入っているということが重要なのです。
わかりやすく言うと、この語には鼻濁音が含まれていたのです。
かつてガ行の音は鼻濁音で発音されていました。
今でこそクリアなガ行が主流かも知れませんが、鼻濁音で発音する音はまさにgaの前にnを置くと音を正確に表しやすいのです。
このことから当時の“加賀”は“カnガ(カカ゜)”と発音していたことが推察できます。
200年程度しか昔でないものでも、言葉は変わってしまうし、記憶から失われてしまうものですね。
しかしこうして記録が残っていることで、当時の人々の生活がより身近に感じられるようになるのです。
大谷大学博物館 伊能忠敬の日本図
~8/5(日、月休) 10:00~17:00(金~19:00) 500円
最寄駅は京都市営地下鉄烏丸線の北大路駅です。
会場には、より拡大して伊能図を楽しむためのiPadが数台用意されています。
駅ナカアートプロジェクトキーワードラリー [京都]
最近、京都市交通局は様々な取り組みをがんばっていますね。
職員がデコレーションしたバスの運行や、駅の階段にコメントを張ったり、駅ナカ店舗も充実しつつあります。
そして今度は駅を明るくしようという取り組みの一つとして一部の駅に期間限定でアートを展示しています。
これは沿線大学とのコラボレーションで製作されているそうです。
一例をあげれば写真のような作品です。
これは松ヶ崎駅の京都工芸繊維大学の作品です。
どこに?と思うかもしれませんが、実は地下鉄駅の壁タイルの溝に色とりどりのカラーテープが埋め込まれています。
最初見たときには、アートはどこにあるのだろうと目の前に立ちながら探してしまいました。
そこまで駅と一体化したアートです。
「アート=物体としての作品」という固定観念にとらわれた人間の心の裏をかかれたようです。
製作者サインはこちら↓
このようにアート作品が飾られている駅9か所のキーワードを集めて台紙に記入し、太秦天神川案内所に持っていくと交通局のミニタオルがもらえます。
散歩がてら巡ってみてはいかかでしょうか。
そのほかにも国際会館駅の京都精華大の作品も見ごたえがあるものでした。
一方で見るに堪えないものも中にはあり、もう少し洗練されていると良かったのではないかと感じます。
駅ナカアートプロジェクトキーワードラリー
~6/30 (ミニタオル交換は7/1までの7:30~19:30)
地下鉄駅を巡るには乗り放題の「市営地下鉄1day フリーチケット(600円)」が便利です。
第47回京の冬の旅 慈照院 [京都]
かつては相国寺は広大な寺領を持っていました。
金閣寺や銀閣寺も相国寺の塔頭ですが、今回訪れた慈照院も塔頭の一つです。
妙心寺などは塔頭が集まっているので関連寺院だと分かりやすいですが、相国寺の塔頭には距離が離れている物があります。
慈照院は比較的相国寺に近い場所にあるのですが、相国寺との間には住宅街が広がっており独立した寺院の様相を呈しています。
慈照院はかつては大徳院と称していましたが、足利幕府8代将軍の足利義政の菩提所となったことから慈照院に名前が変わりました。
足利義政にゆかりの深い銀閣寺が正式名が慈照寺というのと関連があります。
入口が通りと逆側の東側のせいか、寺院が烏丸通りに面しているにもかかわらず建物の中には喧噪は聞こえてきませんでした。
庭には宝船を表すと言われる松の木が植わっており、住宅街として開ける前には東山の山々も見えたことでしょう。
この寺院の見所は茶室の「頤神室」 です。
書院で説明を受けた後、庭を回って茶室へ向かいます。
この茶室には千宗旦になりすました狐の逸話があります。
あるとき千宗旦になりすました狐が客人に茶を振る舞っていたところ本物の宗旦と出くわしました。
すると宗旦は自分に化けたことを怒るばかりか、代わりに茶を点ててくれてありがとうと感謝をしたそうです。
狐も茶が好きだったのでしょう。
「好きこそものの上手なれ」の言葉通り、狐の茶は見事な物であったそうです。
また、茶室の庭から見て右手側には布袋像が飾られていました。
これは頭が千利休の物と交換できるような造りになっているそうです。
訪問したときには布袋像の姿でしたが、聞くところによると利休の頭も布袋像と大して変わらないと言うことでした。
慈照院はなかなか面白い謎が仕掛けられている寺院です。
京の冬の旅 慈照院
~3/18 10:00~16:00 600円
最寄り駅は京都市営地下鉄烏丸線の鞍馬口駅です。
平安神宮 大儺之儀と豆まき [京都]
京都では2/3にたくさんの寺社で節分行事が催されました。
平安神宮もその一つで、広い境内の中心に祭事のための立ち入り禁止の空間が作られていて、そこを囲むように人だかりができていました。
今年は日曜日に当たったために人の出足もよかったのではないでしょうか。
できるだけ早く場所を確保しましたが、当日はぽかぽか日和で風も弱く開始を待つのが苦になりませんでした。
昼過ぎの本殿での祭礼と狂言奉納が終わるといよいよ境内での神事が始まります。
まず、色とりどりの古風な様相をした人々が集まり、そこに写真のように不思議な面をつけた方相氏が登場します。
白い容貌に眉が2組と目が4つある異形の様相をしてます。
鬼を追い払う役回りですが、夜に遭遇したら怖いでしょうね。
その後、桃の弓で矢を放ち邪気を祓い、桃の杖をかけ声とともに打ち下ろします。
そして、クライマックスである方相氏の出番となり「鬼やろ~」のかけ声とともに矛と盾を打ち鳴らします。
「鬼やろ~」とは“鬼やらう”であり、鬼を追い払おうということです。
マイクで勧められるがごとく「鬼やろ~」とかけ声をかけられると、観衆も「鬼やろ~」と応じます。
平安神宮の節分行事は伝統行事ではなく伝統行事の再現であるので、所々解説があるので分かりやすいものになっています。
さて、そうして今度は方相氏は祭場を回り、そのまま応天門へと向かいます。
そして、応天門でも桃の弓で矢を放ち、「鬼やろ~」とかけ声をかけて大儺之儀は終了となります。
余談ですが、かけ声の「鬼やろ~」が「このやろ~」と同じく聞こえて仕方がありませんでした。
まさか、同じ起源を持つものなんてことがあるのでしょうか。
引き続き、今度は節分らしく鬼の登場です。
応天門からたくさんの鬼が乱入し、観客を威圧しながら大極殿へと向かいます。
平安神宮の鬼もものすごい形相で恐ろしく感じました。
大極殿では狂言を踊ったのち豆をまかれて退散します。
ところが、そんなにたやすく退散することもなく、ときには豆をまく人を襲うかのごとく振る舞ったりとなかなか見ていて飽きないものでした。
型が決まっていない自由な感じの動きがほほえましいですね。
そのようなわけで、晴れて応天門から追い出すと節分行事は終了になります。
締めは本殿から福豆を撒くのですが、なかなか遠くまで飛んでこないので手に入れるのは一苦労です。
もみくちゃになるのですが、周りの人はみんな「取れれば運がいいな」くらいの思いなのか、もみくちゃでありながらも切迫感や悲壮感はなく楽しんでいる感じでした。
運良く福豆を一つ手に入れることができましたが、嬉しいだけではなく行事に参加した感じがあっていいものです。
さらに、平安時代当時の面白い風習が見られたのは貴重な体験でした。
平安神宮 節分行事
2/3 12:00~ (大儺之儀 14時~) 無料
最寄りバス停は京都市営バスの京都会館・美術館前です。
下鴨神社 「定家と長明」展 スタジオジブリが描く乱世 [京都]
下鴨神社で特別展が開催されていると言うことで行ってきました。
そもそも下鴨神社にそんな展示スペースがあったかと疑問でしたが、会場は楼門入ってすぐ左手にある神服殿で、中に特別に展示会場が設えられていました。
ところが会場には到着したものの入場チケット売り場が見つかりません。
かなり辺りをうろうろしたあげく、記念品売り場の巫女さんに尋ねると中門より内側に販売所があるとのこと。
やっとの思いでチケットを手にし、満を持して神服殿へと進みました。
神服殿は以前に特別公開の際に上がったことがあります。
普段は非公開と言うことでしたが、今回は非公開の施設だということを認識しながら回る人は少なかったことでしょう。
4つに分けられた部屋のそれぞれにアニメの原画が壁に飾られています。
これはスタジオジブリが藤原定家と鴨長明が友達同士だったらという仮定の下作成したストーリーで、当時の本当の京都の姿や災害の様子、信じられていた鬼の逸話などを混ぜ込んで描かれています。
2人の登場人物だけでなく脇役の人の設定も事細かく解説されていて、キャラクターに魂が宿るようでした。
当然パネル展示ですので絵が貼ってあるだけで、細かいストーリーは分かりません。
しかし、そこは頃合いを見ながら弁士(解説員)の方が拝観者にストーリーを解説しつつ部屋をまわってくれる流れとなっていました。
さすが、ジブリ制作のことだけあり引き込まれる展開です。
実際に映像作品を見たくなりました。
しかし、ここが今回の展示のミソです。
今回展示してある原画はあくまで企画展としての物で、映像作品としては制作されていません。
緻密に作られたストーリー構成も綺麗な作画もそれが未だアニメーションとして完結していない物になっています。
そこで展示の最終スペースには映像化の署名をするコーナーも設けられていました。
ここまで映像のワクワク感を期待させられては署名しないなんてことが出来ましょうか。
強いて言うならば、今回の量のストーリーでは30分程度の作品でしょうし、それをどんな媒体で公開するかが問題になるのではないかと思います。
映画では短いでしょうし、テレビやOVAでは単発作品でどれほど注目を集められるか。
畳の上でアニメーションの原画を愛でるというこれまで体験したことのない貴重な体験に満足でした。
ちなみになぜこの企画展が下鴨神社で行われているかというと、主人公の一人である鴨長明が下鴨神社の関連人物であるからです。
特に今年は方丈記800年と言うことで御蔭通りを挟んだ研修道場で方丈記800年記念特別展も開催されています。
こちらでは貴重な鴨長明の唯一の直筆が公開されています。
下鴨神社 「定家と長明」展 スタジオジブリが描く乱世、方丈記800年記念特別展
~12/16 10:0~16:00
ジブリ展500円 記念特別展1000円 両展共通展1300円
チケットで大炊殿も拝観できます。
最寄り駅は京阪電車等の出町柳駅です。
スタジオジブリの展示の方は以前に神奈川県立近代文学館で開催された「スタジオジブリが描く乱世」と同内容になります。
六道珍皇寺 秋の特別寺宝展 [京都]
京都の秋も深まってきました。
たまたま手に取った京都新聞に六道珍皇寺の特別拝観があると書かれていたので行ってみました。
平安時代頃は六道珍皇寺から南は鳥辺野と言われ葬送の地でした。
その境界に接して六道珍皇寺は存在したため、地獄との行き来の出来る地であると考えられていたようです。
今回展示されている寺宝もその関連の物が多くありました。
江戸時代の地獄図は字が読めない人々でもその内容が分かるようになっていて、現代に生きる人にもその恐ろしさが伝わってきます。
展示物には古い宝物だけでなく、だるま商店作の現代風にアレンジした六道図もありました。
この寺で最も注目されている人物は小野篁です。
小野篁は一度隠岐に配流されたあと、再度中央に戻り公卿に上った人です。
さしづめ、再チャレンジの成功例です。
実際にこの寺にどれほど関わっていたかは分かりませんが、篁は地獄を行き来していたと言われていたため、この葬送の地に近い寺に伝説が伝わっています。
長い間、六道珍皇寺には地獄へ行くための「冥土通いの井戸」は伝わっていていましたが、帰ってくるための井戸が別にあると考えられていました。
それがつい最近の発掘により隣家の敷地内から帰ってくるための井戸と考えられる「黄泉がえりの井戸」 が見つかりました。
現在では、敷地を購入し綺麗に整備されています。
井戸の深さは50メートルと言うことで、地獄は深いところにあるのですね。
ところで、同じ井戸から出入りしてはなぜいけないのでしょうか。
そのほか今回初公開の釈迦十六善神像や境内の迎え鐘や閻魔像、薬師如来像など見所の多い寺です。
なぜか嘉吉の乱で有名な赤松氏とも縁深い寺のようで、そちら関係の資料も展示されていました。
六道珍皇寺 秋の特別寺宝展
~11/25 9:00~16:00 500円
最寄りバス停は京都市バスの清水道です。