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下野薬師寺御開帳 寺名復古 [栃木]

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かつて奈良時代にあった三戒壇。

奈良東大寺、筑紫観世音寺に並んで選ばれたのが下野薬師寺でした。

当時はそれくらい力のあった寺院だったのでしょう。

それから時代が下り、平安時代には既に廃れていたといいます。

そして、戦国時代には北条との戦に巻き込まれ何もかもが焼けてしまいました。

その後、どのような経緯かは分かりませんが、現地に安国寺として伝わりました。


もし、本当に当時の薬師寺の流れを汲むのであれば、今回の薬師寺への改称は願って止まないことだったでしょう。

しかし、もともとの名称の「安国寺」もしっかりとした歴史を持った名前だったのです。

南北朝時代に足利尊氏が戦乱の犠牲者を悼んで各地に建立したのが安国寺で、各地に安国寺は存在しました。

その中で、ここは言うなれば「下野安国寺」だったのです。

“国分寺”のようなものですね。

ですから、歴史を知った上でならば安国寺でもいいとは思ったのですが、全国的知名度や隣接する国指定遺跡の下野薬師寺跡から下野薬師寺を名乗りたかったというのも分かる話です。

少しは世の人に興味を持ってもらえるといいのですが。


というわけで、寺名変更並びに平成の修復を記念して御本尊の特別開帳が行われました。

本尊の逗子の中には本尊の薬師如来だけでなく十二神将と不動明王、毘沙門天(?)がいました。

十二神将はとても小さく細かな作りの像です。

住職に伺うと、本尊は室町時代の作、十二神将はおそらく江戸初期の作だということです。

ということは、北条との戦で焼かれた後ですね。

小さい仏様ですから本尊を抱えて逃げたのかも知れません。

もっとも、他の寺から譲っていただいたということも無くはないとは思いますが。

復興には佐竹の殿様が関わっているようです。

下野薬師寺は秋田藩の領地(飛び地)かつ家老の出身地だったということで、かなり力を入れて復興されたようです。

須弥壇や六角堂もその時の建築によるものではないかということです。

今は縁が切れてしまっていることが残念ですね。


新しい名称を主張するかのように、門に掲げられた「下野薬師寺」の寺名札も陽の光を反射して輝いていました(上写真)。

薬師寺→安国寺→薬師寺と寺名を変えて、新しい寺の歴史が幕を開けます。



平成大修理落慶記念 寺名復古記念 下野薬師寺御開帳

10/22,23

最寄り駅は宇都宮線の自治医大駅で、そこからレンタサイクルが便利です。

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