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麻生藩家老屋敷記念館 [茨城]

畑家.jpg

茨城県には霞ヶ浦と北浦という湖があるのですが、あまり話題に上らず存在を忘れがちです。

水戸の梅や筑波山、袋田の滝など多くの観光地がありますが、あまり霞ヶ浦を見に行くという話は聞きません。

結論から先に言うと、霞ヶ浦はもう少し日の目を浴びていい気がします。

それとも勧められない何かがあるのでしょうか。

 

江戸時代には、そんな二つの湖に挟まれた地に麻生藩がありました。

大きな山が無く、海に近いため平坦な土地ではないかという出発前の予想を裏切り、この辺りは台地と低地が何度も繰り返される起伏の激しい土地でした。

仮に自転車で移動をするのだとしたら困難を伴うでしょう。

そんなアップダウンを越えて着いた麻生の街は平成の大合併で隣町と合併をし、現在では行方市となっています。

特に大きな観光拠点はないのですが、それがゆえに昔からの街並みがよく保存されていて、藩の陣屋跡も小学校などとして今でもすぐに形がわかります。

その陣屋跡を囲むように家臣の住居があったらしく、家老格の畑家の住まいは麻生藩家老屋敷記念館として一般公開されています。

この茅葺きの屋敷は、安政期に建て替えられたもので、その後医院として使用されるなどして今に至るそうです。 

また、敷地内にある管理棟には麻生藩の来歴について詳細にパネル説明されていました(内容は邸内で配布のレジメに同じ)。 

藩主新庄家はもともと北近江の武士で浅井-織田-豊臣と仕えた後、関ヶ原で西軍に付き、領地没収された後で常陸国麻生に封じられます。

その後明治維新まで治めていましたが、一時期は三万石を有し下野国石橋の方まで飛び地として領地を持っていたようです。 

また、街を栄えさせようとしたようですが、街道があるわけではないためかうまくいかなかった旨の記載もありました。

ただ、水運には至便な土地であり、藩主の参勤交代も霞ヶ浦を舟で渡って向かったと言うことです。

もしかすると、琵琶湖畔出身の新庄氏が湖を見ながら生活することを求めて、ここに居を構えたのかも知れません。

今となっては琵琶湖に比肩する力があるとは言えませんが、将来に向けて霞ヶ浦の潜在的な魅力を引き出して欲しいと思います。

麻生藩、そして新庄氏が望んだ湖の民の繁栄を願って。

 

ちなみに、藩邸跡北側にももう一つの家老格の屋敷である三好家があります。

こちらは大正時代に建てられたものですが、民有地のため一般公開されていません。

 

麻生藩家老屋敷記念館

木金土日祝のみ開館 9:00~16:00 無料 

最寄りバス停は関鉄グリーンバスの高速バスで麻生庁舎です。

高速バスですが麻生庁舎では鉾田からでも佐原・潮来からでも乗降車できます。 


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